國文學−解釈と教材の研究− 平成19年8月号(特集・川柳)[學燈社]

國文學 2007年 08月号 [雑誌]

國文學 2007年 08月号 [雑誌]

 さあ困った。よく行く図書館の入り口付近のところに「雑誌リサイクルコーナー」が設置されてあってふと見ると「特集・川柳」の文字が目に入って、ふむ川柳か、川柳という言葉はよく聞くが川柳とは何かと聞かれても答えられんし江戸時代から連綿と続くこの日本独自の文化を一つ知ろうではないかタダやしなと思って鞄に入れて持って帰って、数十冊にもなる「読むべき本」たちの山の真ん中よりやや上のあたりに押し込んで半年以上経って読み始めたわけですが、この雑誌は「國文學−解釈と教材の研究−」という専門誌・学会誌で読者層は大学関係者や研究者を想定しているのであって世界のラブコメ王だとか政局好色だとかほざいている奴が読んではいけなかったのです。しかしまあ読み始めたのだから最後まで読まなければなりませんし読み終えた以上は何らかの感想を書かなければならんわけです。とは言え本書は素人向けではない玄人向けの本でありまして、それについて素人の俺が書くのですから当然おかしくなることにご留意されたいのであります。
 まず川柳とは「不特定多数の大勢の人たちが柄井川柳という一人の点者(今で言う編集者兼選考委員?)に投稿して採用される」という形式をとった「俳諧」であった。つまり「川柳」とは人名であって、この柄井川柳が明和2年(1765年)より「誹風柳多留」を刊行したことにより川柳が広まったのが始まりである。雅語を使い公卿などの上級な身分の者たちが使う和歌・連歌に対抗するようにできたのが「俳諧」であるが、そこから派生して更に滑稽味を増したのが川柳であった。
 その「川柳」は人々に共通する弱点を取りあげて笑うという客観的・傍観者の視点によって時に軽妙な風刺となって当時の庶民たちを楽しませ、また笑いの奥に人間の実態を穿つほろ苦さを持っていた。というわけで俺が気に入ったものを挙げる。いずれも江戸時代の作である。
・大名は一年置に角をもぎ
(参勤交代の大名は一年は江戸、一年は領地に居るが、奥方は江戸を離れられないので、領地には側室を置いている。そこで大名の不在中に奥方の頭に生えた嫉妬の角を、一年置きにもがなくてはならない)
・あいほれは顔を格子の跡がつき
(吉原遊郭の張見世に出ている遊女が、格子に顔を押しつけるようにして、外にいる恋人と話をしている。揚代の無くなった恋人とわずかばかりの逢瀬を楽しもうと熱心に話し込む遊女の感情が伝わってくる。この情景を描いた浮世絵(美人風俗画)も魅力的)
・重けれど嬉しき人の膝枕
・今日からはひとりの為にする化粧
・打ぬけて相手のなきを碁の病
(病いと言われるまで上手になりすぎて、碁を打つ相手がいなくなってしまった寂しさ)
・はやり風引いてしまってあんどする
(風邪がうつらないように気を遣っていたのに、引いてしまうと何故か気分が落ち着く不思議さ)
・役人の子はにぎにぎをよく覚え
(役人は役得で賄賂をつかまされるので、その子も自然にこぶしを握ったり開いたりする「にぎにぎ」をよく覚える)
 また現代の俳人たちが川柳と俳句の違いについて座談会で語っているところによれば、俳句が季語を使って文語的表現で風景を写生するのに比べ川柳は口語的表現を使い自分の言いたいことを意味が端的にパッと伝わるために言うものであるという。そして江戸時代からもっぱら口語・俗語による表現を先鋭化させてきたのが現在のサラリーマン川柳に活きているのであって、この世知辛い世情を川柳にして投稿する現代の人々と柄井川柳に川柳を書き送った人たちは同じ姿なのであり、連綿と続く日本文化の一断面なのである。他にも「川柳は機知が働くものであり、俳句は機知を嫌う」「俳句では、作者よりも作品、川柳では作品よりも作者」など、なるほどと思われる論考があったがもうまとめきれません。畜生め、今度はちゃんと「川柳の歴史や文学史や日本文化における影響」について書かれている本を読んでまたここに書いてやるからな。というわけで今度は気に入った現代川柳を紹介してさようなら。
・まっすぐに生きてきたんだ資産ゼロ
・脇役を誰もやらない文士劇
・やっとひとりになれたデスマスクの笑い
胃カメラが見つけた俺の古戦場
・挨拶もなく脾臓とは別れたり