政治音痴だらけ

 何が政治音痴なのかと言えば「政治家の仕事は政策を作ることだ」などと堂々と発言する者を誰も疑わないことである。政治家の仕事は第一に国民を守ることであり、第二に様々な利害や対立が溢れる人間社会にあってその対立を解決に導くことである。解決のための手段として「政策」があり、それらは官僚や学者や専門家でも作ることができる。しかし優れた政策案や改革案はほとんどの場合それまでの既得権益の壁を取り払うものであるから、業界団体の反対があり、マスコミの反対があり、国民の反対があり、野党のみならず与党内(政府内)からの反対があり、外国からの反対もありえよう。そういう状況に立たされた時に「飴と鞭」「説得と恫喝」を使って、マスコミが好む建前論にも適当に付き合いながら政策を「実行する」ことが国民を守ることである。そのような難事業を東大卒の官僚にできるとは思えないし、バラエティ番組に嬉々として出るような政治家にできるとは思えない。だがもてはやされるのは「東大卒の官僚」であり「バラエティ番組に嬉々として出る政治家」なのである。これが政治音痴でなくて何であろうか。
 そのようなことを言うと今度は「では、国会は何のためにあるのだ。国会は議論する場ではないのか」と反論される。もちろん国会は議論するための場所である。だからマニフェストについて徹底的に議論すればよろしい。その過程においてマニフェストが修正されることもありうる。現実は刻一刻と変化するのであり、マニフェストを発表した時とは明らかに前提が違う場合がある。今回の東日本大震災などその最たるもので、それを「マニフェストを変えるのならもう一度解散・総選挙を」と言う自民党は救いがたい政治音痴ぶりを表している。大震災や災害、予期せぬ経済恐慌や外交問題に対応するためにマニフェストに掲げられた政策を変更する度に総選挙をやり直すわけにはいかない。そのために選挙で選ばれた国民の代表による議論の場が用意されているのである。ただし、現在の国会で行われている議論のほとんどは官僚のお膳立てによる猿芝居である。
 しかしながら現在の日本政治の中で最も政治音痴なのは菅首相である。首相と言えども一人では何もできないのであり、行政の長である首相は巨大な組織を動かして機能させなければならないが、今の菅がやっていることは組織を引っ張ることではなく「脱原発」を「個人の考え」として表明することぐらいである。「未曾有の国難」という大義名分を前にしても大連立すらできず、与党内ですら把握できていない。組織の長でありながら適材適所に人員を配置することもできず、自分が目立つことしか考えていないのである。もちろんそれは去年9月の代表選の時からわかっていたことではあるが。
 更に事態を悪くしているのはマスコミである。今回の大震災によって、マスコミは政府のスポークスマン以上の取材力は持ち合わせていないことが明らかとなった。政府が安全だと言えば「安全だ」と言い、後にそれが嘘だったとわかると「我々は騙された」としか言わない。独自の取材ルートもなければ判断基準もないのである。政府は徹頭徹尾、本当の真実しか言わないとでも思っているのなら「政治音痴」の一言で済むが、膨大な人と時間と予算をかけて真実を追及するより、嘘をついているかもしれない政府情報を垂れ流す方が責任を負わなくて気楽でいいと思っているのであれば(恐らくそう思っているのであろうが)最悪である。政治音痴よりなお悪い。
 つまり我が国は明らかに異常な状況にあり、そのため外国の先進民主主義国の通常の方法ではとても政治などできないのである。だから「不信任案採決直前の退陣表明→不信任案否決」といった考えられないことも起こる。政治音痴が蔓延するこの国ではそのようなわかりづらく回りくどい仕掛けを施さなければこの停滞状況を打破することはできないのである。そのためこれからも普通では考えられないことが起こるであろう。