- 作者: フィリップ・K.ディック,Philip K. Dick,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1992/04
- メディア: 文庫
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「いい短編集は長編数冊分の読み応えがある」と筒井は言ったが、本書はSFの最も基本的な姿勢である(と俺が思っている)「既成概念からの転換、飛躍、破壊」をもとに、登場人物たちが動き世界が目まぐるしく変転し、その世界の変化によってもたらされる社会の矛盾と新たな視点が読者に突き刺さるライブ感覚に読んでいて興奮の連続であった。「であった」と言ってはいるが実は自分でも何を言っているのかさっぱりわからんが、とにかくそれだけ興奮しているということをわかって下さい。
表題作「まだ人間じゃない」は、12歳以下の子供は「未人間」として大人が望めば「生後堕胎」が可能な世界が舞台となっている。なかなか戦慄の世界ではあるがSFにおいてはそれほど目新しいものではない。しかしその世界における登場人物それぞれの行動や心理描写は生々しく荒っぽいが故に読者を引き込む力を持っていて、そこに作者の言う「人間への信頼」というテーマを確かに感じ取ることができよう。或いは時に突飛とも言えるSF的設定の中で、その「突飛であること」を武器にして、そこから動き出したり苦悩の末に決断する(又は決断できない)登場人物たちを通しても「人間への信頼」を感じることができよう。それはSFが内在し作者が主張する「既成権威への反抗」が持つヒューマニズムの表れでもある。普段は上品に偽善的に嘘で塗り固められている我々の世界というのは薄い皮一枚めくれば猛烈なカオスの世界であることを教えてくれる。
また「CM地獄」などはコマーシャル・メディアと機械化社会の欺瞞を暴いたブラック・ユーモアの快作だが、これこそ我々の社会が如何に異常な環境にあるのかを暴いたということで知的でヒューマニズム的と言えよう。他にも「かけがえのない人造物」のように、宇宙に自由に行き来できるようになった遥か未来であっても我々人間というのは何と脆く、儚い存在なのかを痛感できるのはまさに想像力を駆使して展開されるSFだからこそ許せる表現方法である。SFは昔も今も最もわかりやすい形で真実を突きつけるのであり、だからこそ「既成権威」から遠く離れた場所にいるのであろう。
競争社会なのだ、と彼は思った。強者生存なのだ。適者生存ではなく、力を持つ者が生き残る。そして彼らは次の世代にその力をゆずろうとしない。強力にして悪しき古き者と、無力にして心やさしき新しい者との対立。
もし彼らが俺を殺すとなれば、彼ら自身を含めたあらゆる人間を殺さねばならないわけだ。そうなると話は全く違ってくる。この件は、すでに経済および政治のあらゆる重要なポストを握っている支配階級が若者たちを閉め出そうと――必要があれば殺してまで――するためのコン・ゲームだ。この国には、年老いた者によるこの国への憎しみ、年老いた者による若者に対する憎しみ、憎しみと恐怖がある。さて彼らは俺をどうするだろう。俺は彼らと同年代だ、そして俺は今この堕胎トラックの後部に閉じこめられている。俺は別の種類の脅威を引き起こすだろう。