追い詰められる

 どれだけ権勢を誇った首相や権力者も結末は哀れなものである。長く政界に隠然たる影響力を誇った竹下登は「政治家は花束をもって迎えられ、石をもって追われる」と言ったが、権力という「力」を得て政敵を倒した者もあっという間に倒されてしまうものである。権力が輝くのはほんの一瞬である。いくら制度的に権力の行使が保証されていても、天の時・地の利・人の和が揃わなければ勝負に出ても勝ち目はない。政治とは国内はもとより国外の各界各層に渦巻く野望や欲望をいかに平定して国家国民を守るかという戦いであり、そのような戦いに勝てるわけがない官僚やひ弱な政治家やマスコミが「政策論争をすべき」「政争はけしからん」と言い出したことから日本人は政治音痴となった。
 首相の権力の源泉は解散権と人事権であるが、先月に書いた通り菅首相は「退陣表明→不信任案否決」によって解散権を封じられた。マスコミは政局を分析できないから「首相は脱原発で解散を目論んでいる」という首相周辺の言葉を垂れ流すが、いくら解散権が首相に属すると言っても首相を支持する勢力や仲間がいなければ解散などできない。そして退陣を表明した首相を支持する議員などいない。ただし「退陣表明」そのものが権力を失うことに直結するわけではない。速やかに退陣して与野党が一致協力する体制を整えることができたならばむしろ辞めた方が有利になる。ところが菅はなりふり構わぬ延命で今やマスコミのみならず国民の失笑を買っている。あの「合意書」のせいである。
 「合意書」自体も国民の失笑を買ったが、そこに現在の、菅を追い詰める仕掛けが施されていたように俺には思える。あの「合意書」のわずかな文章では速やかに退陣することもいつまでも続投することができ、菅が取った行動は昼の民主党代議士会で神妙な面持ちで退陣表明しながらその日の夜の記者会見で時折笑顔を浮かべながら「退陣時期は来年1月、いやもっと延びるかもしれない」と宣言するというものだった。これを鳩山前首相が「ペテン師」と呼び、マスコミや民主党執行部から総スカンを食らう。しかし合意書を文面通り読めば別に今すぐ辞めるとも書いていない。これが合意書の「仕掛け」である。速やかに退陣表明すれば菅の政治力は温存されるが、なりふり構わぬ延命によって自分自身を追い詰めていくのである。続いて与野党が「50日」で合意していた会期延長を「70日」とした。これをマスコミは「菅の粘り勝ち」と評したが、それこそとんでもない政治音痴である。参議院で与党が少数であるということは野党の協力を得なければ法案は何一つ通らないということであり、与党が野党に頭を下げてやっと「50日」で合意したものを引っくり返したのだから菅は野党どころか与党も敵に回したのである。そのようにして合意書を利用しようとした菅は逆に追い詰められていくのである。
 解散権を封じられた首相の残る武器は人事権(内閣改造)であり、特に現在は大連立の大義名分があるのだから与党内の敵や野党を閣内に封じ込めることもできる。ところが蓋を開けてみれば「復興担当相」と「原発担当相」を新設しただけで、それも防災担当相や原発担当の補佐官を横滑りさせただけであった。それは菅首相の意欲とは裏腹に味方がほとんどいないことを示している(一貫して菅を支持してきた亀井国民新党代表でさえも入閣を固辞した)。小沢グループもしくは自民・公明と菅の間に調整役はおらず、また各省庁や与党内部の動きを適切に把握して首相の手足となって動いてくれる者がいないから内閣改造などできなかったのである。今や菅は完全に追い詰められている。
 突如として退陣の条件に「再生可能エネルギー法案の成立」を言い出したのは解散権も人事権も封じられたからで、もはや悪あがきである。だがどれだけ追い詰められていても首相であることに変わりはない。更に味方が減りたった1人になるまではまだ時間がかかり、その間は被災地の復興や原発危機の収束について何の成果も期待できないであろう。また正気を失って解散に打って出るという可能性もないではない。だが以前言ったように去年の秋の民主党代表選挙で菅は勝ったのであり、現在の地位の正当性はかなり担保されている。我々はとにかく「小沢よりクリーン」である菅を選んだのであり、菅が追い詰められていくように国民も菅が首相である限り追い詰められていく。それが日本の政治の現在の姿である。