政局と権力闘争と

 政治は情報戦である。当事者たちが本当のことを言うとは限らない。そこには自らを有利に、反対勢力を不利にするための仕掛けが必ず施されている。悲しいかなマスコミはその情報戦の片棒を担がされているだけで、大事なことは政局を「分析する」ことである。それをしないから「日本の政治はわからない」となり、わからないのが癪だから「政局はけしからん」「権力闘争はけしからん」となる。要するに責任を政治家に押し付けているだけなのだ。権力は戦いによって勝ち取られるのは古今東西変わらぬ人間社会の真理であり、もう言い飽きたことだがこの国難を乗り切る指導者に必要なのは「クリーン」で「政策に詳しい」ことではない。原発の問題に限っても、国内外を問わず「原発利権」に群がる勢力を排して原発政策を転換することはとてつもなく大変なことで、どれだけ血が流れるかわからない。「金に清潔で政策通」な人間にこの修羅場を乗り切ることはできない。
 というわけで今回の不信任案否決について分析してみるが、発火点は小沢がウォールストリートジャーナル紙のインタビューで菅政権に対して真っ向から対決すると述べたことである。野党が不信任案を提出したところで数は足りないが、民主党最大派閥である小沢グループが賛成すれば可決する可能性は十分にある。これに対して菅首相は「解散・総選挙を断行」と脅しをかけながらも国会会期延長によって小沢グループや小沢に近い鳩山前首相のグループを切り崩しにかかる。野党が内閣不信任案を提出した6月1日の夜には小沢が「不信任案に賛成する」と明らかにし、当初「小沢と行動を共にするのは50〜60人」と言われていた決起集会では71人が集まった。同時刻に鳩山と菅が会談し、鳩山は菅に自発的退陣を促すも菅は拒否、これにより鳩山や原口前総務相も「不信任案に賛成する」と表明。不信任案は民主党で85人前後が賛成に回れば可決されるから菅政権はこの時から死に体である。2日の朝刊には各新聞が一斉に「不信任案、可決の公算」と書き、午前の亀井国民新党代表と菅の会談で亀井も退陣を進言、菅は「考えさせて下さい」と言った後に再び鳩山と会談し、ここで例の合意書が作成された。その合意書には「1・民主党を壊さない、2・自民党政権に逆戻りさせない、3・復興基本法案と第二次補正予算案を成立させる」と書かれた。午後0時、民主党代議士会で菅は退陣を表明、午後1時半より始まった内閣不信任案は小沢グループの大半が反対に回ったことから否決された。
 後にこの合意書の内容をめぐって上へ下への大騒ぎとなるが、それは大した問題ではないというのが俺の最も言いたいことである。菅政権は既に「死に体」なのであり、そのような政権が半年以上も維持できるわけがないことは過去の政権を見れば一目瞭然である。もし無理に延命しようとすればまた小沢グループ鳩山グループに牙をむかれて更に哀れな末路を辿るだけで、菅政権は既に倒されたというのが何よりも重要なのであり、更に重要なことはこれで解散・総選挙はなくなったということである。なぜなら合意書には「民主党を壊さないこと」が真っ先に書かれ、次に「自民党政権に逆戻りさせないこと」が書かれている。それは小沢グループ鳩山グループを離党・新党へと追い詰めることはせず、総選挙で自民党に政権を奪還させるチャンスを与えないということである。考えてみれば「解散・総選挙」というのは最悪の結果で、まず被災地では実際問題として選挙などできない。また現在は戦時下とでも言うべき状態であるから、平時のように与野党が華々しく論戦している場合ではない。やるべきことは与野党が一致して東電や原発利権に群がる官僚・財界・マスコミを解体して原発政策を再構築することである。その第一歩が菅政権を倒すことであり、しかも解散総選挙を決して行わせないことであった。そこに小沢のWSJ誌での宣戦布告〜採決前日の決起集会〜自発的退陣を受けての不信任案「否決」という一連の行動が浮かび上がるのである。もちろん菅政権側は来年1月までの延命は無理だとしても2〜3ヶ月は延ばすことによって次の一手を考えるだろうが、それは小沢側にも次の一手を打つチャンスがあるということである。
 話を冒頭に戻すが、「金にクリーン」で「政策に詳しい」ことが政治家の条件ではない。政治家に求められるのは「国家と国民を守ること」であり、そのためならばいかなる権力闘争にも勝利することである。本当の「政治家」なら、東電や官僚や原発利権に気を遣い与野党一致協力する体制を取らずひたすらパフォーマンスに走る現政権を倒すことから始めなければならない。政権交代によって明らかになり、大震災になって明らかになったことは、日本の「明治以来の官僚中心の政治文化」を変えなければならないということであり、その「明治以来の官僚中心の政治文化」に安住しようとする政治家は与党にも野党にもいたということである。国家と国民を守り、官僚中心の政治文化を変えるために、これからも激しい政局と権力闘争が行われるであろう。そしてそれを軽蔑して見るようでは、この国は大震災という悲劇に遭っても変わることはできないかもしれない。