「天罰」ではない

 地震が起きてから1週間も経たない時に石原東京都知事が「この震災は我欲に溺れる日本人への天罰だ」と言って激しい反発を呼んだ。被災地で苦しんでいる人たちが天罰のせいで苦しんでいるとは俺は思わないが、政府や与野党やマスコミの混乱ぶりについては「天罰ではないが、ツケだ」と思うようになった。戦後最大の危機に瀕した我が国のリーダーは菅首相であり、その菅首相はわずか半年前に民主党代表選挙で選ばれたのだから、リーダーであることの正当性はかなり担保されている。しかし菅は「(小沢より)金に汚くない」「(小沢より)清廉潔白」「(小沢より)愛想がいい、話してくれる」として再選されたのであり、国民の生命と財産を守ってくれるのはどちらかという選択肢はほとんど無視された。もちろんそれは今に始まったことではない。ロッキード事件が起きたはるか昔からそういう風にマスコミや国民は政治を見てきたのであり、そのツケをよりにもよって最悪の時に払わされることになったのであるが、ツケというのは大抵の場合そういうものであろう。率直に言って、もし小沢が首相になっていればこれほどの混乱が起きたとは思えない。政治家が「クリーン」であっても何の意味もないことがこのような形で明らかにされたことが悔やまれてならない。
 政治に必要なのは、どんなことがあっても国民の生命と財産を守り、国益を守ることである。法律や官僚の言うがまま、「法律に従って粛々と対応する」のは怠慢ですらあう。これまでの常識では考えられない大災害が起こったのであればこれまでの常識にとらわれない政策が必要となり、それは現在の法体系に縛られている官僚には絶対にできないことである。そして首相や大臣はプレーヤーになってはならない。こういう事があると必ず「お前らこそ被災地の現地の最前線に立て」と感情的に叫ぶ輩が正義面して出てくるが、全体の状況や問題点を把握して指揮・命令をする者がいなければ現場が更に混乱するだけである。彼らが言っているのは豊臣秀吉徳川家康に馬に乗って敵陣営に真っ先に駆け込めと言っているのと同じで、そんな言に左右される必要はない。特に最高総司令官たる首相は被災地の状況や原発事故についてのあらゆる情報を一元的に自らに届くよう情報送受信システムを整備し、自衛隊・警察・自治体・与野党・米軍等を手足のように使わなければならず、自分が手足となってはならない。そして今の日本がどれほどの危機に瀕しているか、そのためにはどのようにして立て直すかを非常時の宰相として情熱を持って国民に語りかけることが必要なのである。細かいことを言う必要はない。しかし「クリーン」だけが取り柄だった最高総司令官にそんなことは期待できない。そしてマスコミは「停電で不便だ」「買い占められて水や食料がない」「放射能が不安で安心できない」と憎悪を煽っている。これがツケでなくて何だというのか。
 官僚的発想を超えた政治的な解決方法が出ないのならば官僚的発想に頼るしかない。菅首相と会談した谷垣自民党総裁は「復興のために増税もやむなし」と提案し、菅も「検討に値する」と言ったらしいが、これこそ官僚的発想の最たるものであろう。天下り先への補助金は減らしたくない、公務員の人件費は減らしたくない、今までのやり方を変えたくないとする官僚は手っ取り早く「財源がないなら増税」と提案し、マスコミはなぜか「非常時だから仕方ない」と言う。むしろこの非常時は「事業仕分け」などと悠長なことをしなくとも徹底的に予算を削減できる千載一遇のチャンスである。ただでさえ停滞気味の消費が消費税を引き上げることによってどれだけの大打撃を受けるか、経済の素人である俺でさえ心配になるが、それでも官僚は平気である。更に日本経済が萎縮して税収が減ればまた消費税を増やせばよく、その責任を取らされるのは政治だからである。とにかく官僚に任せていてはろくなことにならない。しかし今の政府・与党の政治家たちは「政治」をやろうとしていないのである。
 今、必要とされているのは一にも二にも政治の知恵である。被災者への住居の手配、食料等生活経費のための補助金、再就職支援、いずれもその場限りの方策ではどうにもならないことばかりである。原発を今後も推進していくのか、推進しないとすればどうするか。どんなに技術的な問題があったとしても1日でも早く電力周波数を東日本・西日本で統一(もしくは融通できるように)しなければならない。また首都政府機能をこのまま東京に一極集中しておいていいものか、もう一度マグニチュード9クラスの地震がやってきて東京を直撃したらどうなるのか。全てが長期的でありながら今すぐにでも決めなければならないことばかりであり、そんな時に官僚に頼ってはどうしようもない。強力なリーダーシップと政治力が必要とされているのであり、好むと好まざるに関わらず小沢を起用する他ないと俺は思うが、この非常時にも「あいつは金に汚そうだから嫌」と言うのだろうか。