シンプルな話

 相変わらず「日本の政治はわかりにくい上にレベルが低い」「首相がコロコロと代わって情けない」「政治家は国民の声を聞かない」というそれこそ低レベルな不満ばかりを垂れ流すマスコミによって日本の政治は誤解され続けている。「首相がコロコロ代わる」にはそれなりの理由があるから「コロコロ代わる」のであって、そこには日本の政治制度の問題がシンプルに表れているのだが、そこから目をそらしひたすら感情的で情緒的な不満を垂れ流し続けるのが日本人なのだなと最近しみじみ思う。しかしそれではいつまで経っても我々の暮らしは良くならないので今回も懲りずに書くことにしよう。
 なぜ首相がコロコロと代わるかといえば参議院で政権与党が過半数を持っていないからで、予算案は参議院の議決がなくとも成立するが予算関連の法案は参議院の議決なしには成立しないのだからどんなにいい政策であっても実行できないことになり、それは当然行政の長である首相の責任問題となる。だから退陣を繰り返してきたのであって、参議院に強大な権力を与えた日本国憲法こそが元凶というシンプルな話なのである。そのため参議院過半数を失った菅政権は自民党公明党と連立を組んで参議院過半数を確保しなければ始まらないが、長年の敵であり野党に転落したと言っても200名近くの議員を抱える自民党に連立を持ちかけたところで自民党内がまとまる可能性は低く、それに比べ公明党はトップの号令さえ下れば少人数の機動性を活かして即座に連立へとまとまる可能性が高いはずで、それなのに今に至るまでその気配さえ感じられない。なぜなら「反民主党」「反菅」で参議院選挙を戦った公明党参議院選挙前の布陣を継続している菅政権と手を結ぶことはできないからで、参議院選挙の結果を受けて菅首相が退陣すれば公明党としては「(現政権と戦って勝つという)目的は達した」のだから容易に連立へと流れることができたはずである。しかしながらそうしなかった上に、「政策ごとの協議で」乗り切れると考え、「協議に応じないのは歴史に対する反逆」と挑発したことが現在の体たらくへと至っているのであって、わりとシンプルな話だな、と俺は思うのである。
 また自民党は菅政権の支持率低下によって「今こそ解散総選挙を、政権奪取を」と意気込んでいるが、衆議院過半数を獲得したとしても参議院過半数は持っておらず次の参議院選挙は2013年なのだから、攻守が逆転するだけである。シンプルな話で、既に時代は「自民党の時代」から「自民党反自民党の時代」を経て、新たな政界再編を要請しているのである。戦前から続く官僚支配に自民党が乗っかり、更に財界やマスコミが加わって戦後の繁栄を築いた「自民党の時代」が冷戦の終焉とバブル崩壊によって力を失い、新しい国際環境と経済状況に立ち向かうためには自民党(や官僚)に代わる新たな受け皿が必要だと立ち上がったのが細川政権以後の小沢や現在の民主党幹部たちであり、そのゴールが一昨年の政権交代であった。しかし自民党を倒した後、更に強力な敵である官僚を倒して「国民主権、政治主導」の国作りを行おうとした矢先に検察は小沢を攻撃したのであり、検察に対して一致団結して立ち向かうどころか民主党内までもが検察の援護射撃をする有様であった。つまり民主党内には官僚支配を是とする勢力が存在したのである。もはや日本政治の対立軸は自民党反自民党かではなく「官僚主導」か「政治主導」なのである。そして与謝野経済財政担当相の入閣は現在の政権が官僚主導であることを端的に表している。
 政治を「国民本位」と思っていないから、「マニフェストの修正もありうる」と平気で言えるのである。民主党は当初「子供手当て」や「農家戸別所得補償」を先行して実施し、その財源を事業仕分け等で行政の無駄を省くことによって確保し、それでも足りなければ次の選挙で消費税増税をテーマとして戦うことを想定していたが、いつの間にか「それでは財政再建ができない可能性がある。可及的速やかに消費税増税を」との官僚や大手マスコミの声が大きくなり、菅政権はもともと「官僚支配」を是としているからそれに引っ張られて参議院選挙の敗北を招くことになった。それを見て俺は官僚にとってはまず税収を増やすことが目的で、新たに確保した財源を国民にどう還元するかには全く関心がないことをつくづく思い知らされた。最初に子供手当て等の恩恵を与え、その後に然るべき負担を税によって回収する方が国民は納得すると思うのだが、官僚の論理ではまず税金を確保してその後に自分の都合のいいように配分するのが正しいのである。
 現在の民主党主流も自民党も官僚にべったりでこのままではどうしようもないというのは実にシンプルな事実で、「減税日本」率いる河村名古屋市長や会派を離脱した民主党議員の行動はそれを念頭に置いての行動であろう。特に現在の民主党は小沢派と反小沢派でまるで別の政党のようだが、それは「マニフェスト遵守」か「マニフェストの修正もあり」かの路線闘争であり、つまり「国民との契約を守る」か「国民との契約より官僚の論理を優先するか」の戦いである。そのようにして現在も続く戦いにおいて我々がどちらを応援すればいいかの答えも、シンプルに出てくるはずである。