道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日/猪瀬直樹[文藝春秋]

道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日

道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日

 高速道路とは権力の源であった。自民党道路族や官僚たちは高速道路を地方にプレゼントすることによって自らの力を誇示してきた。高速道路は負担が全て国(及び特殊法人である道路関係四公団)によって賄われるのだから地方にとってこれほどいい話はなかった。高度経済成長による急速な車社会の出現により高速道路の重要性は大きくなり、高速道路はどんどん増えていった。いつしか債務が約四十兆円に膨れ上がり、特殊法人を頂点とするファミリー企業が肥大化し、国民に高い料金を突きつけることになっても高速道路は増えていった。
 誰もがこの状況に危惧を抱いていた2001年春に颯爽と現れたのは「構造改革」を唱える変人宰相・小泉純一郎である。今や小泉と言えば格差社会を招いた悪の権化であり功績としては郵政民営化しか記憶に残っていない(それも今や否定されつつある)が、巨大金融機関・郵貯に集まった金は「財政投融資」という資金枠に送られ官僚が好き勝手に利用し、その財投資金の多くが道路公団に使われていたのだから、この道路公団の民営化もまた小泉が執念を燃やしたものであった。しかしながら民営化となれば当然今までのように採算度外視でとにかく道路を作り続けるわけにはいかず道路族議員や官僚が黙っているわけがない。変人首相の支持率は極めて高いが所詮一人で政治はできないのであり、小泉を孤立無援にさせれば問題ないと考える「抵抗勢力」側と小泉側の戦いが始まった。そして小泉は道路公団の今後を左右する「民営化推進委員会」に一人の「刺客」を放った。それが本書の作者である。
 小泉首相は政権発足後すぐに石原行革担当大臣に「行革断行評議会」を設置して意見をまとめるように指示、「官から民へ」を掲げる小泉政権にとって行政機関ではないにもかかわらず国営銀行の資金(郵便貯金)と税金が投入されそれによって民間企業の参入を阻んでいる特殊法人の見直しは郵政民営化に勝るとも劣らない喫緊の課題で、その特殊法人の中でも最も大きいのが道路関係四公団であった。次第に行革は道路公団改革へと具体的な作業に入ってゆき、それに伴い様々な抵抗が押し寄せる。今日提出予定の資料が事前にマスコミにリークされるなど日常茶飯事であり(「評議会」の事務局自体が各省庁から出向している官僚で運営されているのだから無理はない)、官僚からの一方的なリークを盲目的に信じるマスコミに翻弄されながらも作者は自民党実力者たちとの折衝によってギリギリの妥協点を見出すことに成功するが、このあたりがもう面白いの何の。例えば道路族の重鎮・古賀誠衆議院議員が譲れないのは「政治が国民に約束した」とされる「9342キロの道路を作る」整備計画の実行(既に7000キロが作られ、残り2300キロ)であって、民営化してもそれが実行されるのであれば妥協の余地はある。そこで評議会側が「三千億円の国費は投入しない」という文言を勝ち取るかわりに、道路族に配慮して「建設凍結」の文字を入れず、今後の道路建設については民営化後の新会社に任せる、また民営化後の組織形態については内閣に第三者機関を設置して具体的に検討するとして決着されるのである。「権力の源」とまで言われる道路建設に踏み込んだのであり、これだけでも相当な進歩である(と作者は評価する)が、常に目に見えるものにしか反応しないマスコミは一斉に「妥協、玉虫色、痛み分け」と痛罵した。そして一民間人である作者の携帯電話に内閣総理大臣・小泉から電話がかかってきた。立腹していた。
「なにが妥協か、どうして玉虫色なのか、おかしいんじゃないか」
「総理、おっしゃる通り、今のところメディアの表現はきわめて安易です。抵抗勢力や各省庁から流される情報量に比例してメディアは動きます。量より質が勝らなければいけないはずですが、量が質を凌駕しているのだと思います。情報戦ですね。でも事態を正確に把握している記者も少なくありません。正しいものは正しいのですから」
「そうなんだ。ここまでやってきたんだ。道路公団民営化という言葉は、今では当たり前に使われている。三千億円をゼロにできるなんて一体誰が想像したと思うかい」
「あとは第三者機関です。そこまで持ってきたのですから」
「そうだ」
 2002年6月19日、小泉首相は官邸に塩川財務相・扇国交相・石原行革相・福田官房長官を招き入れ「(第三者機関の)人選はいっさい私に任せてほしい」と言った。小泉得意の「人事権発動による中央突破」作戦である。第三者機関の人選発表は明後日の21日、その前日の20日に「ニュースステーション」の久米宏は言った。
「与党幹部の一人は第三者機関のメンバー選びについて、小泉さんは与党を敵に回せない、物議を醸す人は入らないと信じていると語って、猪瀬直樹さんの排除に自信をみせているということです。ただニュースステーションではたびたび申し上げてきましたが、第三者機関に猪瀬直樹さんが入らないということになると、はっきり言って小泉改革は、もう、アウトです」
 翌日、民営化推進委員会のメンバーに作者が加わることが福田官房長官によって発表された。内閣に設置される機関であるから人事権は内閣総理大臣にあるが、与党幹部たちはマスコミを前にして悔しさを隠し切れずコメントし、作者は万感の思いと複雑な感情を交錯させながらこう書いている。
 ――なぜこれほどまでに僕が嫌われたのか。たったひとりの民間人を、永田町の政治家や、表立っては現れはしなかったが霞ヶ関の官僚らが、かくも必死になって拒絶した理由は何か。
 道路はただの道路ではない。道路建設は巨大な資源の分配であり、どこに、いつ、どれだけのコストをかけてつくるのか、それを決めるのが政治であり、権力の行使そのものだからだ。そして日本の意思決定は、官僚機構と族議員との間で、国民の与り知らぬ密室でなされてきたのである。
 この後ステージは民営化推進委員会に移り、官僚や官僚の意を受けた委員たちと作者の壮絶な戦いが始まるのだが、その経過を書き出すとキリがないし官僚機構やマスコミの問題点が目白押しでとてもまとめきれない。会議を原則公開にすることの意味を理解できない委員長、わざと数式を抜いたエクセルデータを渡す等の姑息な手段を使う道路公団国交省・事務局、議事録を偽造する評論家、手頃なワイドショー的スキャンダルを求めるマスコミ、そして委員長辞任と前代未聞の多数決による意見書の採決…。すごい本だ。権力の深き闇で行われていたことが少しだけではあるが見えた気がする。時間を置いてまた読んで更に感想を述べることにしよう。