期待すること

 「政策論争を期待する」はずのマスコミが連日連夜「政治と金」について叫び、それを後ろ盾にしたい、或いは金を集める能力もなく、選挙に強くもない、ただ耳障りのいい言葉を発するだけの人達による政権によって通常国会は既に末期症状である。毎度のことながら予算委員会で予算の議論をせずに与野党共にひたすら「反小沢」をアピールして支持率を上向かせようと必死になって、これからの日本をどうしたいかがまるでわからない。司法の場でしか決着しないものを立法機関で話し合ってもどうにもならないことに誰も気付いていないのか、それとも気付いていないフリをしているのか、とにかく大いなる時間と金の無駄であることは間違いない。また「反小沢」以外に聞こえてくるのは「財政再建のためにはどんなに困難であっても消費税は上げなければならない」という悲壮(を装った)な決意であるが、一方で「次の総選挙までは消費税は上げない」とも言っているのだからわざわざ強調して言うこともないはずで、ではなぜわざわざそんなことを言うのかといえば官僚の支持が得たいからである(税収が少なくなれば必然的に官僚の地位は脅かされ、税収が増えれば官僚の地位は盤石となる)。そのような菅政権を見ているとかつての自民党政権のようで、官僚に媚び、マスコミの「政治家は金に清廉潔白でなければならない」という決まり文句に応えて何人かの犠牲者を差し出すが、企業献金の禁止や政治資金の更なる公開等の抜本的な対策には決して踏み込まない。菅政権は自民党政権と同じく、官僚とマスコミ、そして普天間やTPPへの対応からしアメリカを味方にして政権を運営するつもりなのである。
 明治以来この国の実権を握ってきたのは官僚で、戦後はそれにアメリカが加わって巧妙に日本の政治を操ってきた。しかし官僚政治を否定し、「独立心の強い」小沢一郎が首相や実質的に首相の地位に就けばその構造は完全に覆されると考えたから官僚はあらゆる手を使って小沢の政治生命を抹殺しようとしたのであり、それが2009年3月以降の日本政治の基本的な姿である。当たり前の話だが官僚にとっての敵は官僚の既得権益を破壊する者であって、自分達を守ってくれるなら政権が自民党でも民主党でも問題はない(これは「記者クラブ制度」という既得権益を抱えた大手マスコミにも言える)。そのため官僚・マスコミ・アメリカといった勢力に立ち向かうためには「民主党自民党の大連立によってそれら諸勢力に立ち向かうしかない」と俺は考えるようになった。戦前の政党勢力は軍部に一致団結して立ち向かうどころか分断され腰くだけになってしまったが、それが現在の政党に重なって見えるのは俺だけではあるまい。もちろん大連立のためには民主党側が自民党に頭を下げなければならないが、菅首相の「協議に応じなければ、歴史に対する反逆」という言葉を聞くと大連立を期待する気すら失せてしまう。
 一方の自民党も「解散総選挙に追い込む」と意気込んではいるが、ついこの間まで首相の顔を一年ごとに変えながら何とか解散総選挙を先延ばしにしてきたことを忘れているようで首をかしげるしかない。そもそも2009年の総選挙でなぜあれほどの惨敗を喫したかの総括もしていないのであるからこれも期待できない。総括や「新しい自民党」の姿を模索せずに政権に復帰してしまった方がまずいのではないか。そしてもし何かの間違いで総選挙が行われ政権に復帰したとしても参議院が残っている。公明党みんなの党を足しても過半数はないのである。先月も言ったように、参議院を忘れてはならない。
 とにかく俺が民主党自民党に期待するのは以上のようなことであるが、何度も言うように国会は「日本の行く末」を議論するところであって、推定無罪の人間を引っ張り出し、疑似裁判をかけるような場所ではない。それこそ「消費税は上げるべきか。いくら上げるべきで、いつ上げるべきか」というような議論を俺は期待している。期待するしかない、と思っている。