週刊文春 2009年5月21日号[文藝春秋]


 聞くところによると俺はかなり読書家の部類に入るらしい。まあそれはそうだろうが、では胸を張って「俺は結構な読書家です」と言えるかというとそうでもない。実は俺は新聞や週刊誌をほとんど「読んでない」からで、もちろん俺が言うところの「読んでない」というのは普通の文庫本のように1ページ目から最後のページまで目を通していないという意味であるが、会社では大体朝日新聞毎日新聞を読んでいるものの(読○新聞は昔新聞配達のバイトをしていた時の悪夢が甦るので目も合わせられない)、政治・国際・経済のところまで読めば終わりで中ほどにある投稿欄や文化欄はここ3〜4年読んだことがない。週刊誌(よく行く歯医者には週刊朝日週刊文春が置かれてある)も政治や経済に関する記事や新刊案内・書評に目を通すだけで、いわゆる芸能スキャンダルや「おいしい居酒屋紹介」「おいしいレストラン紹介」はほとんど読まない。これはひとえに俺の偏食と遅読の責任であるが、一方で毎日出される新聞や毎週出される週刊誌を丹念に読んでいたらそれだけで人生が終わってしまうではないかともう開き直っている。
 しかしながらいつまでもこのままというわけにはいかん、俺には後世に名高い読書家となる野望があるのだと大いに焦り、去年の12月頃だったと思うが五反田の風俗に行こうとしてお気に入りの風俗嬢が1時間待ちだということでこういう時の時間潰しのためによく使うインターネット喫茶に行けば「無料で差し上げます」という文字が目に入って箱の中に雑然と置かれていた本や雑誌の中からこの週刊誌は俺の手元に届き我が読書記録に加えられたのであった。おめでとう。そして隅から隅まで読み終えて「新聞はタイムマシン、週刊誌は時代を映す鏡」という俺の持論は間違いではなかったと改めて確信することができた。新聞は今日でも明日でもなく「昨日」わかった出来事や情報を網羅することで瞬間性を常に新鮮な鮮度で封じ込めるが、週刊誌は「先週」にわかった出来事や情報をその場で素早く調理するのであり、その調理道具には「その時代の雰囲気」が使われよう。政治家や芸能人を批判するにしろ賞賛するにしろそこには「時代」によって左右される常識や価値観が存在し、それを時を経て読むことによってその時代の姿が炙り出されるのである。「2009年5月」の週刊誌を読むことで、今とは違う「あの時」をあの時そこにいたように味わうができるのだ。というわけで印象深かった記事は以下。
   
アメリ自動車産業の街・デトロイトがBIG3の凋落で落日の姿となっていることを伝える写真。廃墟となった自動車工場、ファーストフードの「従業員募集」のダンボール箱に大量の応募用紙が入っている、海兵隊の広告、犬の死骸。
・2009年春のTVドラマの総批判。主人公の設定のありえなさ、俳優のやる気の無さに苦言(かすれた声・覇気のない動き・死んだ魚の目)。登場人物たちのあまりにステレオタイプな設定と演技。何を描きたいのか、テーマすらわからないカオス状態。大雑把で安易な設定。しかし俺はドラマを全く見ないので何が何やらわからん。
バツイチの女が前夫の子を絶命へと追いやる惨事が多発。「彼女たち(虐待する母親)にとっては、前夫との子は『最も嫌いな男の子供』でもある」という。そして「子供へのいたぶり度合いが、新しい彼への愛情のバロメーターに思えてくる」のであり、また「子供優先の生活で長く恋愛を封印してきた鬱憤もあり、母親は恋愛しちゃいけないの?私はまだ若いのに、女の幸せを優先させて何が悪いの?これまで頑張ってきた自分へのご褒美くらい与えてもいい」と思うようにもなるという。正直言って俺にはとても信じられないが、本当だとしたらまさに地獄絵図。結果的に自分の腹を痛めて産んだ子供を殺すのだからな。
・年よりもずっと若く見えると言われ、自分でもそれを疑うことのなかった50女が、若い奴にしっかり実年齢を当てられたことに怒り心頭エッセイ。俺の感想は…控えます。
土屋賢二教授の哲学的苦悩的エッセイ。おおこれは嬉しい。そうか教授は週刊文春で毎週毎週つまらぬことを愚痴っておったのですね。
日本雑誌協会名で出された「一連の『名誉毀損判決』に対する私たちの見解」。超高額の賠償金や当該記事そのものの取り消し広告の掲載が相次いで出され、司法による言論への介入であるとの見解を表明。「国民の過半数が否定的な意見を持つと言われる『裁判員制度』について厳しく問題点を指摘してきた」私たちに対する、司法権力の明確な意思の表れである、とのこと。
・淑女の雑誌からのエロ何とかを抜粋。「ドライブ中のHは興奮します。そんな遠くじゃなくても駐車場とか夜のPAとか、スリルがあるからかな?彼のムスコさんも元気イイです。運転中に発情しないよう気をつけなきゃ…」。「休日はお口でペロペロクチュクチュ、夫を起こしてあげます。39歳の夫は朝の方が元気なのでバキバキに硬くなり、勢いよくビュッと出るまでシャブシャブしたら、ご褒美に朝イチHをしてもらえます」。
・映画「ブッシュ」監督のオリバー・ストーンのインタビュー。「本物の戦争を体験したものは戦争を避けるようになる。だからブッシュの父も、パウエル国務長官イラク攻撃に反対した。それを蹴散らして戦争に突き進んだのはベトナムの兵役を五度も逃げたチェイニー(副大統領)やラムズフェルド国務長官などの実戦経験のない連中だ。奴らは口先だけの安楽椅子愛国者だよ」。「資本主義は懲りない。バブルを膨らませて弾けさせ、それを何度も繰り返す。何の実体もないIT産業株に人々は三十億ドルも投じた。バブルだ。醜悪だ。またゲッコー(80年代の証券バブルを描いた映画『ウォール街』に出てくる証券マン)は帰ってくる。私は今、『ウォール街2』を準備している。この22年でウォール街は変わった。それを表現したい。マネーはますます実体からかけ離れて取引され、崩壊した。それはアメリカだけでなく世界中の貧しい人々をさらに貧しくする。しかし、それを引き起こしたウォール街の連中は責任を取らない。逆に何十億ものボーナスをもらう。これがアメリカだ」
・愛知県名古屋市の田舎町で起こった一家三人死傷事件。母親は頭蓋骨が砕けるほど頭部を何度も強打され、次男は刀と柄が外れるほどの力で背中を数回突き刺され、なぜか三男だけが殺されず(気絶させた後、両手を電気コードで縛られた)、その後14時間近く惨劇現場に居座っていた。自力で脱出した三男が助けを呼び、現場にいた巡査はドアの向こうにうずくまる若い男の存在に気付いたが、巡査が無線対応をしている間に忽然と姿を消してしまった。愛知県警はそのミスを隠し、疑惑の目は三男に向けられることになったという。わからないことだらけで救いようがないのがフィクションと違うところである。
 
 というわけで、政治・経済・社会・文化・芸能から書評、エッセイ、居酒屋案内とバラエティー豊かな週刊誌を読んでまた一つ俺の「読書の引き出し」が増えたのでした。何とかやりくりしてこれからも週刊誌を読んでいくことにしよう。