図書館員(上・下)/ラリー・バインハート[早川書房:ハヤカワ文庫]

図書館員〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

図書館員〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

図書館員〈下〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

図書館員〈下〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 アメリカはマッチョな国である。この場合の「マッチョ」とは屈強な肉体を持つ男がワンサカいるということではない。老若男女問わずアメリカ国民は「自分はヒーロー(ヒロイン)として振る舞わなければならない」と思っているから「マッチョ」なのであって、平凡な図書館員や金と自由主義に執着する老富豪やアメリカの栄光と秩序を信じる国土安全保障局員が生死をかけて舞台で動き回る姿はまさにハリウッド映画的エンターテイメントであり、アメリカ人だから許されるんですね、こういうのが。
 資料や書類が生き甲斐の平凡な中年図書館員(恐らく30代後半〜40代)がアルバイトとして、財を成した老富豪のこれまでの仕事についての膨大な書類を整理することになるところから物語は始まる。実はその老富豪は共和党へ長年に渡り高額の資金を提供し共和党内に独自のコネクションを持っていて、間もなく行われる大統領選挙においてある企みを持っていた。その老富豪の企みに協力し利用しようとする現共和党政権幹部とその部下たちの一部には極右とは言わないまでも「アメリカの正義」を過剰に信じ、アメリカの力こそがこの混沌の国際社会を救うのだとテロ防止の名の下になりふり構わぬ手段(つまり違法な手段)を使う者が多数存在し、現大統領の失態がきっかけとなってその「老富豪の企み」を知り得る立場にいる図書館員は狙われ、平凡な図書館員は一躍「国家機密級の指名手配」となるのである。そのストーリーと場面描写は軽快で退屈するところがなく、国を守る官僚でありながら異常人物であったり目の前で政府による強引な市民逮捕や情報操作が行われているというのに政府に味方する大手マスコミの姿を抑制のある文章で、しかしエンターテイメントらしく皮肉たっぷりに描くところなども非常に上質な感じを醸し出していて好感が持てよう。所々で政府やマスコミを単純に描き過ぎているところも見受けられるが、根底には自分たちが思っている以上に脆弱な「アメリカの栄光」というものに対する健全な批判精神があり、それが読者に静かな迫力を与えている。
 本書は「痛快サスペンス」ということであるが、描かれているのは「アメリカへの愛と皮肉」であって、主人公たちが痛快に動き回ったところで気持ちよい結末が待っているわけではない。主人公である図書館員は事故に遭うようにして国家権力の醜い部分に巻き込まれるが、主人公を狙う政権幹部たちにとってはその「醜い企み」はアメリカを救うために必要な手段だと心の底から信じているのであり、それによって幾人の命が失われても仕方がないと本気で考えているのである。それはアメリカという超大国が持つ確かな一側面であろう。そして「人間が世界支配を企む時には、はっきりと見えるところでするんだ」という冒頭の言葉と、国家規模の陰謀を主人公が実に簡単に明らかにした時、俺は皮肉のなかにアメリカという国の脆弱さをはっきりと感じた。まさに「公になっている資料からいかに多くのことがわかるか」である。
 それにしてもアメリカの小説の男主人公というのはどうしてこうやたらに女を口説くのでしょうなあ。「なぜそんなに大事なんだい?」「話してはいないよ。考えただけだ。お互いの心を読み合っていたんだ」「僕は君に恋をしているんだ」「人は、知ることで恋に落ちるんじゃない。恋に落ちるのは…」「君はあまり胸の内にしまっておくことをしないんだな?」「たとえやってできないことはないにしても、僕には君をどうにかしようなどという気はないよ。でも、もし今君のいる場所が君のいたい場所でなければ、僕は喜んでやるからね」…。うーん、胸糞悪いが、「おいおい、おいしそうなメロンがそこにあったとしたらどうする。食べてしまうだろ?つまりそういうことさ」とか何とか言ってHAHAHAと笑う外人は…悔しいが絵になるなあ。