小泉純一郎 ポピュリズムの研究/大嶽秀夫[東洋経済新報社]

 小泉政権の終了から既に4年が経ち、政権が自民党から民主党に移り、最近やっと学界もジャーナリズムも客観的に冷静に「小泉時代」を論じることができるようになったと思われる。とは言えそのほとんどが「抵抗勢力という悪玉、小泉構造改革という善玉の図式で国民からの支持を得た」「アメリカべったりの姿勢を取ることでアメリカの信頼を得た」という誰が聞いても分かる無難な言い方でしかなく、いささか辟易していたところである。俺が知りたいのは戦後日本政治史上極めて強力なリーダーシップを発揮できた小泉首相の時代というのは小泉純一郎という変人のパーソナリティーによってもたらされたものなのか、何らかの政治制度(小選挙区制と二大政党制の確立や官邸機能の強化等が挙げられよう)の特性によってもたらされたものなのか、であって、もし小泉個人の問題であれば本当にその時代は「特異」であったと結論付けられるし、それが政治制度上の問題であれば今後もリーダーシップの強い首相の時代が続き、それは今まで「政治家より官僚の方が強い」「首相より派閥の領袖や族議員が強い」と見られてきた日本政治が明らかに転換したことを意味しよう。そして本書で作者は、小泉政権において象徴的であった道路公団改革、郵政解散、対米外交・対北朝鮮外交を追うことにより、5年半の長期政権を築き上げたのは小泉自身の資質、本書タイトルにもあるようにその「ポピュリズム」戦略と手法によるものであったと結論付けるのである。
 もちろん小選挙制・比例代表制による党首の権限の強化や官邸機能の充実(経済財政諮問会議等)が小泉首相のリーダーシップに大きな影響を与えたことは確かであるが、そもそもそれらの制度は小泉が始めたわけでないし、小泉以外の政治家はそれらを使いこなせなかった。小泉だけが自らの資質(ポピュリズム)と用意された制度をリンクさせながら政権を強化できたというのが本書の主張である。
 5年半の長期政権において小泉が一貫していたのは、「郵政民営化問題を除いては、いかなる政策問題についても『素人』であった」ことであった。そして日本の有権者の感覚では「素人」とは「政官業の癒着」「永田町・霞ヶ関の住人」とは違う「清潔」さでもって意識され、プラスのシンボルとして扱われるのである。過去にもロッキード事件の時の新自由クラブ河野洋平や89年参院選でマドンナブームの象徴となった土井たか子、93年新党ブームの細川護煕薬害エイズ問題で活躍した管直人などがその「素人」的な「清潔」さによってブームを起こしているが、自民党内に支持基盤を持たず、世論のみを頼りとしなければならない小泉は特にそれを意識して行動したのであり、様々な利害が絡む複雑な政策問題も深く勉強することなく「素人」「世間」の「常識」で判断しようとした。まさしくポピュリズムであるが、そのため国民受けする「イージー・イシュー」、特殊法人天下り批判や「郵便局は国営でないとできないのか」等のわかりやすい争点を繰り返し発言して世論にアピールする一方で、郵政民営化後の経営形態や道路公団民営化後の道路交通体系という「ハード・イシュー」についてはほとんど発言しないか丸投げする場面が次々に見られた(そもそも勉強していないのだから丸投げせざるを得ない)。そこで竹中平蔵猪瀬直樹、あるいは安部官房副長官に世論受けに行動するようバックアップし、特に竹中については党内で反対の意見が強烈に叫ばれようとも守り続けた。
 政治とは複雑な利害が絡み合う非常に厄介なものであり、それ故「政治とは説得の技術である」とも言われる。しかしながら小泉はワンフレーズは得意でも議論は苦手であった。当時自由党党首であった小沢一郎は本会議の代表質問でこう言っている。「私は最初、小泉総理の答弁は『はぐらかし』や『論理のすり替え』だと思っていました。しかし、質疑をよく分析してみると、小泉総理には、はぐらかしているとか、すり替えているといった意識さえないようであります。そもそも、相手が何を質問しているのか、正確に理解できていらっしゃらない。あるいは理解しようとしないのではないでしょうか」。では何をもって政治的決断をしたのかというと国民の常識、国民の意識、国民の目線であって、もっと簡単に言うと世論に支持されるかされないかである。世論に支持されないのならやらないのであるからポピュリズム政治の真髄とも言えるが、世論上も大丈夫と判断すれば「素人」の大胆さをもってそれまでの政策を一刀両断したのであり、政策上の革新を行うには戦術的に最上の手段でもあったと作者は高く評価している。
 本書は小泉内閣が退陣し安部内閣が発足した直後の2006年11月のものであり、その後安部・福田・麻生そして鳩山内閣があのような見るも無残な形で終わったところを見ると、やはり小泉の非常にユニークな資質が長期政権の基盤の第一であった事は疑いようがない。30年以上の代議士人生、福田赳夫の書生として角福戦争を目の当たりにしてきた政治家としての出自、それにもかかわらず「変人」として、一般に国民がイメージするところの政治家とは対極に自分を置くことに成功し、橋本派の野中と青木を分断させ更に郵政民営化法案に反対した者を全て切るという冷酷非情さと、「(郵政解散によって)選挙に負けて民主党が政権を取っても面白いし、勝てば自分の力が更に強くなる。何も恐れることはない」と語るニヒルさなど、日本政治の「異色の惑星」として興味の尽きるところがない。今後ますます小泉政権の研究書が増えていくことを期待しよう。