もう戻れない

 鳩山首相普天間問題で迷走したことは間違いない。或いは平野官房長官が「総合調整役=官房長官」としての役割を果たさなかったことも間違いない。しかし鳩山が辞任することだけは避けた方がいいと俺は考えていた。別に現政権を支持しているからではないが、普天間問題は親の仇のごとく叩かなければならないものではなく、「政治とカネ」の問題は本ブログで再三指摘してきたように検察・官僚・マスコミにより歪曲されたものであるから、粘り強く耐えていけばよい。最も参議院選挙で負けてしまってはどうにもしようがないだろうが、このまま自民党政権が復帰しても何もならないことを国民はいやというほど知っているからどう転ぶかはわからない。世論調査に適当に答えても生活に何の影響もないが、投票は今後の生活を左右するからである。とにかくもし鳩山が辞めるようなことがあれば、日本政治は陸軍に翻弄されるだけであった昭和10年代のような惨めな状態に陥る危険がある。
 そもそも万人が納得するような政治・政策などありえないし、外交や安保においてはなおさら「国益のために」ほとんどの国民が反対する決断を下さなければならない。しかしマスコミは支持率を金科玉条のごとく振りかざす。支持率が重要視されなければマスコミの地位は低下するからだが、何度も言うように「民意」とは「選挙」のことであって「世論調査」ではない。国民はこれまでの実績とこれからの未来をもとに投票するのであり、毎週毎週日本人の人口の1%にも満たない数で調査した結果を錦の御旗のごとく掲げられてもほとんど意味がない。
 意味がなくても実際に彼らの言う「支持率」が落ち、そこで問題なのは常に支持率が高い首相の上に乗っかっていたい未熟な政治家たちである。何度も言うように政治家にとって必要なことは「国民の生命・財産を守ること」であって、清潔で優しそうで言葉遣いが丁寧なら良いというのは国民を舐めきった話ではないか。しかし地元に戻って選挙民から罵声を浴びせられるのが怖い政治家たちがよってたかって鳩山・小沢をつぶしにかかったのだろう。それによって日本はまた迷走を続ける危険性があることも考えずに。初めて国民の手によって成立した政権が1年も経たないうちに壊されたのだから、本当の原因は何なのか徹底的に調べなければならない。今の状況は昭和10年代の次々に内閣が生まれては消えていった時に似ているのではない、敗戦後の東久邇宮内閣から吉田内閣に至るまでの一時の混乱のようなものだ、と願わずにはいられない。
 
<以下の文章は、鳩山首相が辞任する前に書いた、本来の「政局好色」6月用の文章です。>  
 自国の安全保障を他国の軍隊に任せるという異常事態が続いていたのは「冷戦という異常事態」があったからである。その間、沖縄の苦しみは「日米同盟」「アメリカという傘に守ってもらう」ために黙殺されてきた。冷戦が終わり、各国がグローバル化する経済と薄れゆく国境線の中でいかにして国益を維持し、国民の生活を守るかという中で政権交代は起きた。これまでアメリカ一辺倒だった政権が下野したのであるから新政権がやるべき事はいたってシンプルで、「沖縄の負担を軽減」し、「アメリカの影響力を減らしていく」ことだけである。最近のマスコミを見ていると鳩山を人殺しのように叩くこと自体が目的化しているように見えるが、いつも言っているように「一方の権力者を叩くことによってもう一方の権力者の地位を補強する」ことになるのではジャーナリズムも何もあったものではない。
 もちろん鳩山首相以下政府首脳の「ルーピー」ぶりには目を覆いたくなる。特に平野官房長官についてはお粗末と言うしかない。官房長官という国の諸問題を調整する総合コントロールセンターのトップが自ら沖縄に何度も足を運ぶようでは調整できるものもできない。沖縄の動向、アメリカの動向、与党内の動向、野党の動向、そしてマスコミの動向を注意深く観察してどこに解決の糸口があるかを見つけるためには自身がプレイヤーになってはならないのであって、プレイヤーになった途端に行動は制約されよう。いつまでも野党の気分で「面と向かって誠実に話し合えば何とかなる」と思われては困るのであり、マスコミにマイクを向けられたらとにかく何かを話さないといけないという勘違いからは早く脱却するべきであろう。敵を前にして手の内を見せるようなものだ。
 しかしながらそのような鳩山や平野個人に帰属する問題と普天間問題は別のものとして考えるべきで、この普天間問題が日米同盟に決定的な亀裂となるかもしれないとマスコミは心配するが、それはつまり「アメリカのご機嫌を損ねたら大変だ」ということに他ならない。確かに一度合意したことを反故にする(あるいは考え直す)のは人の道に反することであるが、国同士の外交においては日常茶飯事に行われることである。大事なことはアメリカと手を結ぶことで日本がどれだけ多くの果実を得られるかであり、アメリカの機嫌を損ねようが怒らせようが知ったことではないのである。もちろん本当に怒らせては果実を得られないからそのあたりは十二分に気を付けなければならないが、ただひたすらアメリカの反応に一喜一憂する様子には違和感を覚える。
 むしろ俺は牛歩ながらもこの問題が前に進んでいる風に見受けられる。なぜなら今回の騒動によって沖縄の怒りがどれだけ激烈で根深いものかを目の当たりにして、日本政府だけでなくアメリカも「沖縄の負担軽減の検討」に否応なく巻き込まれてしまったからである。基地移設先の条件としてアメリカも「住民の同意」を挙げている以上、アメリカは何らかのプランを立てなければならなくなった。五十五年体制下において歴代の自民党政権が「社会党社会党を支持する人たちがうるさいから…」と言って次々にアメリカから譲歩を引き出した構図と全く同じで、そうすると実は現在の自民党こそが追い込まれているということになろう。沖縄県民にとって最悪なのは「現行案通りになる」ことである。結局鳩山首相が決めたのも「現行案」とほとんど同じものであったが、同時に沖縄の負担軽減についても考えるというものであった。自民党であったらどうしたであろうか。「現行案で行きます」などと言えば沖縄県民の怒りが増すだけだが、自民党はいまだに「現行案がベストだった」と繰り返すのみである。意識してのことか偶然なのかはわからぬが、何とか沖縄の苦しみを軽減しようとするレールはひかれてしまったのであり、今は民主党を叩くことで満足している自民党もやがて窮地に追い込まれるだろう。
 たとえ自民党が政権に復帰したとしても、やるべきことは「沖縄の負担を軽減」し、「アメリカの影響力を減らしていく」ことである。もう冷戦時代のアメリカに守ってもらっていた時代には戻れない。冷戦後も何とかごまかしながら米軍基地問題を「日米同盟のため」の一言で片付けていた頃には戻れない。時計の針を元に戻すことはできない。そのことを民主党自民党もマスコミも認識しなければならない。いわんや「アメリカが守ってくれる」などという冷戦時代のような認識は即刻捨てなければならない。