国家と外交/田中均・田原総一朗[講談社]

国家と外交

国家と外交

 外務省や外交官は確かに「行政」の一端を担っているが、いわゆる許認可権や天下りといった普通我々が思い浮かべる「お役所」とは明らかに違う存在である。まだ防衛省の方が「自衛隊」という目に見える組織を管轄している分存在感があって、外務省が日々各国の政治・経済状況を情報収集して日米同盟に代表される安保問題について侃々愕々の議論をしたところで存在感がないどころか、国民のほとんどは興味がない。しかしながら「政府の上に政府はない」のであり、軍隊を持つ各国に対して我が国がどのような関係を築いていくか、或いはもっとはっきり言えば北朝鮮や中国という不安定な国を目と鼻の先に持つ日本がどのように平和を維持していくのかを考えるのは当然政治・行政が支払うべき「コスト」である。本書は本ブログでもすっかりお馴染みである田原総一朗が、北朝鮮交渉で名を馳せた田中均が外務省退官直後に早速「外交の要諦」について聞き出すという非常に魅力的なものであった。ちなみに神保町で100円で買ったのだが、なぜか田中均のサイン付であった。

 さて外交というのは当然相手がある話であるから、当方の言い分を一方的に主張して成果を得られることはまずありえない。また「政府の上に政府はない」のだから、軍事的な圧力を含む様々な陰謀が仕掛けられることもありえよう。特に北朝鮮などというのは民主主義からほど遠い独裁国家なのであるから、一体何を考えているのかわからないわけである。「俺たちは核を持っている、いつでも攻撃できるぞ」と脅す国を交渉のテーブルに座らせ、「そんなことを言っていてはいつまで経ってもあなたの国は良くならない。日朝関係が正常化してこそ、両国の安全、東アジアの安定、国際平和の確立に寄与するんだ」と説得するのは並大抵のことではないが、そうしなければ日本は常に戦争の危機にさらされてしまう。そしてその場合田中が言うように、「ただひたすら北朝鮮独裁国家でけしからんと感情的に反発し、国内世論の反対が大きくなれば、相手国からも『あなたの国の国民は反対しているじゃないか』と足元を見られる」のであって、外交とは交渉相手と戦い、国内の世論とも戦わなければならない。ここに外交の難しさがある。
 田中が小泉訪朝のために交渉した相手「ミスターX」について、マスコミは散々その秘密性を叩いたが、もちろん外交とは相手がある話なので交渉相手が「俺の素性を明かさないでくれ」と言えばその通りにするしかないわけである。特に北朝鮮のような体制では肩書は信用できず、本当に金正日と直接話せる人物なのか、約束したことを実現する力を持っているのかが重要になってくるのであって、ミスターXにとっても「あの日本と極秘裏に交渉している」ことが公になれば下手をすると命を失いかねない。つまり秘密性がなくなったら日朝交渉自体が消えてしまうのであるが、マスコミは田中を叩き続けた。マスコミに情報を隠していると思われたからであり、「田中は拉致の問題を軽視している」とも思われていたからである。
  
田中 そういう経緯があるものですから、我々はまず拉致を認めさせ、謝罪させることが第一歩だと考えたわけです。拉致の問題を北朝鮮当局との間で解明しない限り、日本の世論は正常化交渉の前進を認めない。もちろん小泉総理もそれをわかっている。だから、拉致について情報を明らかにしろ、謝罪をしろと要求したんです。
 ただここで難しいのは、そういう交渉をすると北朝鮮側は、「そうか、日本は拉致問題を解明するためだけに交渉しているのんだな」と受け取りかねないということです。
田原 問題を矮小化するわけね。
田中 そう思うわけです。外交交渉というものは、相互に利益がないと成り立たない。確かに利益を得る時期というのは違ってくるかもしれない。ただ拉致問題の解明が進めば、まずは日本に利益がもたらされるわけだけれど、中長期的には北朝鮮にとっても必ず大きな利益が生まれてくる。そういうことを説明しながら交渉していったわけです。
 外交における交渉というのは、そういう複雑な方程式なんです。共通の基盤のようなものをつくらずに、一方的に「これだけ明らかにしろ」と迫っていっても解は出てこないんです。今まで、解がなかったのは、そういう一方的なアプローチだったからです。
  
田原 あの二度目の訪朝で、小泉さんは平壌で記者発表という形で演説しますね。あのときに僕がびっくりしたのは、「家族を連れ戻しに来た」と言うだろうと思っていたのに、「日朝国交正常化をやるために来たんだ」と言ったことです。やっぱり初めからそういう信念は変わっていないんですか。
田中 変わっていないんですよ。私はそう思います。
 要するに、日本国総理大臣がいったい何に対して責任を負っているかと言ったら、やっぱりそれは日本という国の長期的な安全なんですね。長期的な安全を担保しつつ、拉致をはじめとする個々の事象を解決しなければいけないと思っている。
 だけど同時に、「拉致の問題の解決だけのために首脳会談をやっているわけじゃない」という姿勢を鮮明にすることによって、北朝鮮を動かしているんです。現にそうやって動かしてきたんですよ。そこを理解しなきゃいけない。「拉致問題だけが大事なんだ」と騒いでいる限り、拉致の問題についても解がないんですよ。要するに、もっと大きな中に位置づけてやらないと答えは出てこないんです。
 ところが、こう言った途端、「あいつは拉致の問題を軽視している」と言われやすい雰囲気がある。それは間違いなんですよね。
  
 拉致問題は日本人にとって何物にも変えがたい最優先課題であるが、北朝鮮にとっては日朝交渉を有利に進めるカードでしかないのであり、その事を踏まえて交渉に臨まないと国益の観点からして危ういわけである。しかし田中が嘆いているように、そのような冷静な視点というのは日本人にはまだまだ無理ではないかな。そもそも「外交とは戦争を防ぐものである」ということをどれだけの日本人が理解しているのだろうか。
 また田中は北朝鮮問題を担当する前はアメリカ関係を担当していて、特に80年代から90年代にかけての日米経済摩擦問題や日米新ガイドラインについても話がされているが、ここで明らかになるのは田原が主張してきた「霞ヶ関アメリカの外圧を利用して国内を改革してきた」ことの意味である。
  
田原 僕はよく書いているんだけど、外圧は実は霞ヶ関発ワシントン経由の外圧だった。日本の市場を開放しようとしても、日本国内の力では難しい。とりわけ政治家は農業をはじめとするさまざまな業界と関係が深いから手が出せない。そこで官僚たちが霞ヶ関発ワシントン経由の外圧によって日本を変えていくという手段をとったんだと。田中さんの認識もそうなんですか。
田中 そういう側面があったことは間違いないと思いますよ。要するに我々が考えるのは、この国のために何がいいかということなんです。そのことで私は、当時の外務省事務次官と非常に激しい口論をしたこともあります。次官は「君ね、日本もけしからんけど、アメリカもけしからん」と。「これを打開するためには、事に正面から対峙して、潰れたところからしか新しいものは生まれないんだ」と言われた。そこに私は「ちょっと待ってください」と反論しました。
「我々官僚の責務は、日米同盟関係を維持し、かつ日本の市場を開放することで国内の産業を強くすることだ。日本の経済を強くし、日本の市場が瑕疵のない状態になった時に、初めてアメリカとの対等の関係というのがクレームできる。しかし今の日本市場はあまりにも瑕疵が多すぎるし、安全保障の面でも、日本の役割を確定しないで単にアメリカが守ってくれるだろうという状況がある限り、いくら対等の関係だと言っても意味がないんじゃないか」と。
 
 ダラダラと引用してしまったがそれだけ本書には引用したい箇所があるということです。他にも対中関係をどうすべきか、本書は2005年11月の発行であるが、いまだに中国とどう付き合っていけばいいのかわからない中で本書で言及される国益論と戦略論は一つのヒントとなるだろう。それにしても、サンデープロジェクトが終わりこの田原節が聞けなくなるというのはやはり寂しいことだ。