3 沖縄解散(20→11)

第20位:奥サマは小学生/松山せいじ秋田書店チャンピオンREDコミックス]

奥サマは小学生 (チャンピオンREDコミックス)

奥サマは小学生 (チャンピオンREDコミックス)

 さて作者は日本ラブコメ大賞の常連である(2002年2位「エイケン」、2007年1位「ゾクセイ」、2008年19位「ぶっかけ」)。24位「ユリア100式」と同じくこちらも「寸止め」を全面に押し出しているが、その見せ方といいエロさといい比べ物にならない。本作ではそれにロリの魅力まで追加されているが、いかんせんロリは俺の専門外なので評価も厳しめになることをあらかじめご注意下さい。
 主人公は小学校の教師でヒロインは小学生であり、当然主人公はヒロインに対して劣情を抱いてはいけないのだがヒロインのやたらのサービスシーンに主人公の心は揺らぐわけである。そのあたりの作者の絵の巧さは今まで散々このブログで言及してきたので繰り返さないが、ロリコン的なエロと通常のエロ(いわゆる「巨乳」に代表される世間一般でイメージするところのエロ)を同居させておきながらそこに違和感がないのが作者の絵の特徴である。しかしながら本作ではそれが仇となり、お互いがお互いを中和しているものだからインパクトが薄く、結果それぞれを過剰に表現しそれがまた中和され更に過剰にならざるを得ず尻切れトンボで終わっている印象を拭いきれない。
 またロリコン系ラブコメの利点はヒロインの主人公への態度の表明がよりストレートに出すことができる点とそのストレートな好意はあくまで純粋な気持ちによるものであるということであって、それによって他のラブコメ作品とは一線を画すことができるし、更に進んでロリエロに走るということも手法としてはあるだろう。ところが本作のように最初から「二人は夫婦でした」で始まってしまうと一番おいしい場面であるはずの「ロリヒロインが主人公を気に入り、次第に二人は周囲とは違う独特の『仲良し』的空間を作ってゆく」がなくなってしまい読む側としてはいまいち話に乗れないのではないか。ヒロインを高校生以上にするならまだしもロリコンヒロインを使っての話の転がし方に少々無理があったのではないかというのが俺の感想である。ロリ方面には疎いので少し辛口になってしまいましたね。
 結局エロに徹するならエロに、非エロに徹するなら非エロに徹するという正攻法が総合的には一番良いのであり、どちらも取りにいこうという作者及び出版側のやる気は評価するが中途半端な感じは否めず、20位ぐらいが妥当であろう。
  
第19位:スイーツ!/しなな泰之集英社集英社スーパーダッシュ文庫
スイーツ! (集英社スーパーダッシュ文庫)

スイーツ! (集英社スーパーダッシュ文庫)

 もともとラノベ嫌いの俺であるが去年はかなりラノベにもそのラブコメファイティングスピリットを燃やし、その反動からか今年はほとんど手をつけなかった。いや別に心底嫌っているわけではないが、ただ小難しい理屈と幼稚園児のような単細胞思考を正義と断じる低レベルさに読んでいるだけで疲れてしまうので俺の方からご遠慮願っているのである。しかしラノベにも必ず優れたラブコメは存在するのであり、問題はそれを見つけるまでに生ゴミを死ぬほどつまみ食いしなければならないことに俺自身が耐えられるかどうかなのだ。というわけで何とか見つけたのが本作と13位の「トラジマ!」であるが、特に本作は本年度の作品群のなかで一番の問題作と言ってよいだろう。
 本作全体に醸し出される、「俺は2ちゃんねらーや携帯電話小説のようなフニャフニャな文体は使わず、もっとしっかりとした文体を使っている」とでも言いたげな一人称は確かにしっかりしており、「真面目な読書青年」である俺も合格の太鼓判を押すが、所詮ラノベなのであって妄想ばかりしている平凡な高校生を中盤で阿呆のごとく理由もなくスーパーマンに仕立て上げてしまっており(「この一握りの見栄、女の子の前で張らなくて、いつ張ればいい?」「だから、戦うよ。組織だとか面子とかのためじゃなくて、目の前のヒロインちゃんのために」)、まあ世間の穢溜めを知らぬひきこもりニートとその予備軍がラノベを支えているのだから彼らに媚を売らざるを得ないかもしれんが、それでは五年十年も語り継がれる作品にはなりえませんよと一応忠告しておこう。
 しかし上記のようなことに目をつぶれば本作は非常に好感が持てる作品と言える。主人公は「妄想力」逞しき高校生であり、その高校生が突如異変に巻き込まれる状況設定やヒロインたちと主人公の関係性は読んでいて違和感なく入り込むことができよう。それだけに主人公の青臭さが気になって仕方がないのが惜しいことだ。大体「妄想」が本作全体を通じてのキーポイントとなっているが、「妄想」はそんなにきれいなものではない。もっとドロドロとしたいやらしく汚いものだ。それをエンターテイメントとして浄化しながらもその「ドロドロとしたいやらしく汚い」という本質を見逃さずに書くことが我が日本ラブコメ大賞には求められるのである。
   
第18位:せーふく気分/ななみ静竹書房:BAMBOO COMICS]
せーふく気分 (バンブー・コミックス DOKI SELECT)

せーふく気分 (バンブー・コミックス DOKI SELECT)

 さてここからしばらくは非成年系のエロ漫画(成年マークは付いてないが限りなく成年漫画に近いもの)が続くことになります。やはり俺も寄る年波か年々エロ描写(SEX描写)がないと物足りなくなってきているのであって、今後このような「正式には成年漫画ではないが、ラブコメ表現の大部分をエロに担保している」漫画がますます重宝されることになるだろう。
 で、作者は俺を成年漫画へと導いてくれた良心的な雑誌「ファンタジイカクテル」(2004年に休刊)がまだあった頃に既にベテランとして認知されていたぐらいのベテランである。とは言え昔は「和姦」を全面に押し出したり「男と女が相思相愛にSEX」という描写がなぜかタブーとされていたのであり(田中ユタカだけが例外であった)、その昔の面影をひきずってか男と女の愛の意思表示が少なくただ漫然とSEXシーンに行く短編もあって不完全燃焼な感じは拭えない。もちろんちゃんとした「あなたが好きよ」→「ほんならまあヤろうか」という短編も存在するし愛情をベースにしながらも一度スイッチが入った女たちの淫乱描写はやはり最近の若いエロ漫画家たちの追随を許さない年季の入ったものであるが(女社長・女上司・隣に住む妹系幼馴染は非常に良かった)、画力の方も女たちの巨乳具合が身体全体では少しバランスが悪かったり表情も終始口が半開きになっていたりしていくら長い付き合いとは言え声を大にして「本作はいいです!めちゃくちゃ興奮します!」とは言えません。
 ただしフォローするわけではないが、本作に漂う「明るさ」は非常に自然な感じがするのであって、これはたとえ成年漫画という社会に何一つ役に立たないものであっても同じ仕事を長い長い間やり続けていることからくる安定感と風通しの良さであろう。そういうところも評価してはじめてその道の奥深さを知るのですね俺はね。
  
第17位:蜜愛フルコース/さきうらら竹書房:BAMBOO COMICS]
蜜愛フルコース (バンブー・コミックス VITAMAN SELECT)

蜜愛フルコース (バンブー・コミックス VITAMAN SELECT)

 ラブコメにしろ成年漫画にしろ、作者が女であってはろくな作品にはならない。なぜなら女が描く男が「平凡でおとなしい普通の青年」なわけがないし、読者である我々のようなうだつの上がらない男が求める「妄想の実現」を理解できるわけがないからである。とは言えそれは所詮ストーリーの話であって、では男の編集者等が原作を考えてその通り漫画化すればいいのかというとそうでもない。女が描く女には「色気」がないからである。
 男にとって「色気」とは何か。それは男が女を見るとき無意識下で必ず感じる性の感覚であり、もっとわかりやすく言えば「肉感的」なものである。女が女を美しく描く場合は大抵「肉感的」なものが欠け、代わりに「お人形のような」美しさで描かれるのは、女にとっては女が性の対象ではないからである。だから「男を興奮させる」目的で作られる成年漫画に女の出る幕はないのであるが、だからと言って鬼畜凌辱強姦輪姦ホモレズサドマゾが跋扈する現状ではたとえ女が描いたものでも手を出さざるを得ないのである。
 しかし大事なことはその作品がいかにラブコメかどうかであって、女の作者によって描かれた本作では男と女がいとも簡単に好き合い最後まで行きそのほとんどの場合女の方が積極的に動きあるいは誘惑する状況であるから十分おいしいのであるが、そのような理由もあってどこか食い足りない。とは言え鬼畜凌辱強姦輪姦ホモレズサドマゾでなければ俺は文句を言わぬ。それに各短編においてはベッドシーンの前の日常的な場面の中でも必ず「見せ場」を作るなど細やかな気遣いも行き届いており、作中で女たちが男に向かって「どうですか?私の身体、気持ちいいですか?」と聞くように作者もまた「どうですか?このエロ漫画で興奮してくれますか?」と聞いているようでこれはこれでありである。
   
第16位:恋愛ばいぶる/東タイラ竹書房:BAMBOO COMICS]
恋愛ばいぶる (バンブー・コミックス VITAMAN SELECT)

恋愛ばいぶる (バンブー・コミックス VITAMAN SELECT)

 しかしながら「女の方が積極的に動きあるいは誘惑する」ことの限界は時にそれが不自然に感じられることである。俺はマゾではなくサドでもないのだから(ややその気はあるが)その状況に応じて主人公(男)の取った行動が読者にとって受け入れることのできるものであれば男の方が能動的に動いてもいいのである。要はバランスなのであって、阿呆の一つ覚えみたいにひたすら女が淫乱に振る舞っても仕方がない。作品内に生きた男と女がいるわけだからそこにはそれなりの葛藤があって然るべきであり、それを時にコメディに、時にシリアスに演じ分けてこそ本当に優れたラブコメである。そのことを再認識させてくれたのが本作であって、それぞれの短編で主人公(男)は状況に応じて消極的であったり積極的であったりするのであるが全体として読者はそこに違和感を感じることなく読むことができる。それは何よりもそれぞれの話の重点を性交シーンではなく男と女の出会いや二人の想いの交錯に置いているからであろう。言わば「エロを補強するためのラブコメ」ではなく「ラブコメを補強するためのエロ」という原理原則を忠実に守っているのであり、これが簡単なようでなかなかできないのだ。掲載誌の事情もあるが、そのように毎回毎回話を作り登場人物たちを転がすのは大変で、面倒臭いからである。
 非成年系の成年漫画に求められているのは本書のような「ラブコメを補強するためのエロ」であって、そうすることによって一般誌と成年誌のいいところだけを取り入れることができ、ラブコメの幅も広がろう。「寸止めばかりでは不満だし、エロに特化しては近寄り難い」という読者に本書は最適である。それぞれの道を極めるのも結構だが、同時に常に受け入れやすい中間地帯を用意する本書のようなものもまた、必要なのである。
  
第15位:ヴァージンげ〜む/藤坂空樹竹書房:BAMBOO COMICS
ヴァージンげ〜む (バンブー・コミックス VITAMAN SELECT)

ヴァージンげ〜む (バンブー・コミックス VITAMAN SELECT)

 今年は良作な非成年系成年漫画が豊富で、自分にとって「エロ」とは何か、その「エロ」と「ラブコメ」の関係はどうあるべきかを真剣に考えることができた(何をやっとるんだという声が聞こえる)。しかし「エロ」を議論の俎上にのせる場合に障害となるのが「エロ」の持つ後ろめたさと毒々しさであって、この負の要素ゆえに我々は真剣に「エロ」を考えることができず、さりとてそれらを取り除けば今度は「エロ」が消えてしまい、「エロ」に付随する「ラブコメ」も非常につかみにくいものとなり全体像がぼやけてしまうのであった。翻って本作はというと「エロ」の雰囲気を崩さず、さりとて「エロ」の持つ毒々しさと後ろめたさは感じられないのである。俺は少々混乱した。
 作者は3年連続でこの「非成年漫画」枠でランクインしているベテランであるが(2007年18位「蜜(ハニー)な毎日」、2008年7位「ももいろミルク」)、画力やストーリー構成や心理描写それぞれはそれほど高い得点を稼いでいないのに全体を通して評価すれば15位に足る作品となっている。それは「エロにすべし」という掲載誌からのプレッシャーの中で、性行為を挟んだ男と女の関係をゼロから見直し、改めて「エロ」を選択している誠実さによるものである。などと言うと訳が分からなくなってしまうが、要するに作品内では性行為へと至る流れを最小限に抑え、別の視点から(キャラクターの関係性の上から)性行為へと選択する流れを律儀に守っているのである。「誠実」と言ったのはそういう意味からである。
 別に俺は従来の「エロ」を頭ごなしに否定しているわけではない。しかしきっかけも理由もなくただ女が裸になって股を開くだけでは漫画としても陳腐であるし何も生まれない。金銭の対価として物語を手に入れる以上、そこに何らかの工夫を期待するのは当然のことのはずだ。「エロ」もまた、分析されなければならないのであり、それを俺はラブコメという方法論からアプローチしているのである。いやに難しいことを言ってしまったが、まあそう思ったのだから仕方ない。内容についてはおしとやかだが積極的な女が引っ込み思案で小さいことにウジウジ悩む男を引っ張ってそして股を開いてオッケーオッケー。
   
第14位:ろーまじ〜我が征くはぬめりの大海〜/大見武士少年画報社:YC COMICS]
ろーまじ―我が征くはぬめりの大海 (ヤングコミックコミックス)

ろーまじ―我が征くはぬめりの大海 (ヤングコミックコミックス)

 先ほどからいやに難しいことばかり言っているが、エロかエロでないかにかかわらずラブコメとは読む者に癒しと勇気を与えるものでなければならないのは基本中の基本である。より極上の癒しを提供した者が後々まで称えられるのである。
 本作は「ローション」を扱ってそれぞれの男女たちのラブコメ模様を連作という形で読者に提供し、当方としてはローションを使おうが使うまいが各短編のヒロインたちがいずれも男に従順であり(プレイの内容は問わない)独特の「甘さ」を醸し出していることで満足である。ラブコメにおいては主人公とヒロインの好いた惚れたの嫉妬策略が強調され恋人関係となり肉体関係となった者同士の気だるい甘さはほとんど表に出てこないが、26歳の大人の男である俺にはそろそろそのあたりも欲しいところなのである。
 ところで「甘さ」などと一口で言うがそれを醸し出すためには登場人物たちの関係性から状況設定そして実際の性行為の描写に至るまで微細に気を使わなければならない。なぜなら「甘さ」が有効に機能するためには「場面」が重要になってくるからである。「甘さ」という意識が読者に浸透するためには連続する場面の要所要所でその甘さを表現しなければならず、その間作者は気を抜くことができない。「甘さ」を維持するには男と女の間でいわゆる「すきま風」を読者に悟られてはいけないのだから、よく使われる「雨降って地固まる」転がし方はご法度なのである。この「甘さ」は、流麗で伸びやかなキャラクターたちの輪郭と柔らかさが全身に溢れているような女性たちの身体という優れた作画能力によって生み出されるものであって、もうたまらんわいである。肉感的でありながら人形のように美しく、こういうのを犯す快感というものを(以下略)。
   
第13位:トラジマ! ルイと栄太の事情/阿智太郎メディアワークス電撃文庫
 その昔作者のラブコメ(1998年2位「僕の血を吸わないで」、1999年1位「住めば都のコスモス荘」)に夢中になった時があったがそれはもう10年以上前の高校生の時の話である。当時の俺は本作のような文体からしておっとりのほほん、とにかくぬるくゆるく面白く老若男女安心して読めるほのぼのラブコメを読むことが唯一の快楽と信じて疑わなかったが、その後の動乱と恐慌を経て社会人となり、汚い大人の世界に身を置き、風俗遊びにまみれた俺が求めるのはもっと快楽的でもっと狂気に彩られた物語である。しかしあの頃の俺ならば必ずや本作品は1位には行かずとも5位以内には入れていたであろうから、当時のひたすら陰鬱に殻に閉じこもっていた微笑ましい高校生時代の供養として26歳の今もこのような作品を読み継いでいくつもりである。
 どこにでもいる平凡な主人公は鬼のシマ模様パンツ(黄色と黒色が交互に入れ乱れている)を手に入れてパーマンのごとく無敵の力を手に入れ、それが縁で活発な(金にがめつい)同級生の女とも仲良くなるのであるが、そのシマ模様パンツのせいで毎日が大騒ぎ、「何でこんな目に遭うんだ!」と叫ぶ主人公だが傍から見ていると実に楽しそうで頁をめくるのが嬉しくてしょうがなかった高校生の頃の胸のときめきを少しだけ思い出すことができました。
 以前「住めば都のコスモス荘」を本ブログで取り上げた時に書いた通り、作者の作品はひたすら話をノリよく展開させることにその特色がある。文体や作品の世界設定さえもその面白さのためならどうにでも転がす思い切りの良さとそれに付随するラブコメ展開は印象深くはないものの読者に一時の清涼感を与えてくれよう。強引に次から次へとしょうもない諍いに巻き込まれ一癖も二癖もある周囲の人間たちに振り回され、自分では何一つ解決できないながらも時の状況によって何となく丸く収まるストーリーは非常に懐かしかった。
  
第12位:精一杯の恋/春輝[芳文社芳文社コミックス]
精一杯の恋 (芳文社コミックス)

精一杯の恋 (芳文社コミックス)

 作者は本年ラブコメ大賞の選考過程において見事に俺をかきまわしてくれた。絵心がある者なら誰にでも書けるような平均的な絵とありふれた非成年系成年漫画にありがちのストーリー展開ながら読む者をグイグイと引き込み、そのくせほのかに違和感を感じるのは何故なのか最初だいぶ戸惑ったが、その描写力が清潔さと不潔さを同居させた不思議な世界を醸し出していることによるものであった。などと言ってもよくわからんか。
 一回り以上歳の離れた女と付き合ったり上司の娘をデリヘルの風俗嬢と勘違いしたりと本作の各短編はエロ漫画が一般的に身に着けている「不潔さ」をベースとしている。しかし読み進めるうちにいつの間にかその不潔さが消えているのである。それは結末を清潔(ハッピーエンド)にしたことによるものではない。主人公・ヒロインを問わず線が細く、背景をあまり多様せずバックに白を多く使うこともその一因ではあるが、そこにラブコメ的なコミュニケーションが偶然にも入り込んでいるからである。
 ラブコメ的なコミュニケーションとは一言で言えば「通常のエロの形式にとらわれないエロ」であって、エロを性行為ではなくもちろんフェチでもなく男女の愛の対話の一形式として表現しようとすることである。本来不潔で毒々しい話であるはずなのにそこにラブコメ的なコミュニケーションを入れ込んで、その結果起こる矛盾について突き放しながら自然と清潔(ハッピーエンド)に落とすものだから違和感が起こるが、それが良性的な誤算を起こしているのである。作者にとってはただの偶然であるが、その偶然を引き起こしたのは作者であり本作である。会話を少なく、モノローグをやや雄弁にして実際の会話による男と女の関係性の浮上を抑え、より深いところ(性交時)での二人の「繋がり」を意識させるところも良い方向に動いた要因であろう。深く読み込めば読み込むほどラブコメの楽しさは二倍にも三倍にもなることを本書で再認識した次第である。
  
第11位:歓迎!未亡人横丁/えむあ[少年画報社:YC COMICS]・大歓迎!未亡人横丁/えむあ[少年画報社:YC COMICS]
歓迎!未亡人横丁 (ヤングコミックコミックス)

歓迎!未亡人横丁 (ヤングコミックコミックス)

大歓迎!未亡人横丁 (ヤングコミックコミックス)

大歓迎!未亡人横丁 (ヤングコミックコミックス)

 というわけで本作をもって「非成年系のエロ漫画」の紹介は終わります。そして本作でありますが、意中の女性が自分の兄と結婚し兄嫁となり、しかし兄が事故で他界、未亡人となった兄嫁と主人公の淫らな性の饗宴がはじまる、というまことに使い古された陳腐な設定であります。
 使い古された陳腐な設定、というのは別に悪い意味ではない。未亡人兄嫁というのは「タブー」を表している。そして我々読者は日常生活で多かれ少なかれタブーというものを意識しているのであり、単に女と肉体関係を結ぶだけで何かしら後ろめたい感覚に陥ることもあるのだから、兄嫁との肉体関係なら尚更である。その後ろめたさを払拭するために主人公は兄嫁のみならず様々な女性と関係を持つ(エロ漫画のセオリー通り)のであるが、身体を開く女性たちによって後ろめたさがなくなり、やがてまた後ろめたさが主人公の心理に浮かんでくると再度肉体関係を結ぶという二重構造となっているのである。とは言え別に本作は病的なわけではない。あくまで軽いコメディをベースとして主人公対多数のヒロインたちというハーレム関係を築き上げるのであるが、ここには快楽の根源に罪があり、罪を忘れるため更に快楽を求めるという相反する普遍的な行動が認められ(そんなことを認めるのはお前ぐらいだと言われそうだが)作品世界から目が放せない。そのような妖しい展開の上に描かれるヒロインたちの裸や裸エプロンや性交シーンの艶かしさは実際に描かれる性交以上の効果がある。もちろん作者はそんな大それたことをやるつもりはなくただのハーレムエロ漫画に少し深みを与えようとしただけであろうが、作品は作者の手を離れ読み手の者となった時、より自由な解釈が生まれるのである。