政治権力の研究(1)人事と組織

 ビデオが壊れた。
 世にも稀なる真面目なアマチュア政局評論家である俺は合コンにも行かず風俗にもちょっとしか行かず選挙特別番組やニュース番組やサンデープロジェクトをビデオ録画しては繰り返し繰り返し見るというささやかな趣味によってこの世知辛い世間に身を置く我が身を癒していたというのにどういうわけかその生命線であるビデオが壊れてしまったのだ。確かに俺は選挙特別番組であれば1分間に3回ぐらい録画しては止めて録画してまた止めてとひたすらにあらゆる局を録画して(その方が臨場感が出るので)多忙なことこの上なく機械にガタが来るのも無理ないことかもしれぬ。有楽町のビックカメラで買った現品限りのアナログのテレビデオ(テレビの下部にビデオが内臓されているやつ)でもちろんあんな薄いやつではなく箱物の置き場所を取るやつであり、1万5千円の安物だから買って2年も経てば壊れても仕方ないのだろうか。しかし政権交代による新政権の発足という歴史的瞬間がテレビに垂れ流しされているというのにそれを録画できないというのは何という屈辱か。人生の残り時間が少ない俺の少ない楽しみを奪って貴様は一体何様のつもりだ。この糞阿呆め。
 というわけで「政局好色」でこの煮えくりかえる腸を何とかするために大々的に「政治権力の研究」などとわかったようなわからんようなサブタイトルをつけて論じてることにしよう。今回のお題は「人事」である。「政局」自体も色々と政策転換に向けて動いているらしいが、いかんせん発足から数週間しか経っていないので全体的な動きがよくわからんので次回以降の宿題としておこう(もちろん水面下で何かが行われているのだろうが)。それに日本のマスコミ及び日本人というのはどうも政治を「聖人君子によるもの」と思っている節があって、人事や組織といった民間企業のような切り口で政治を検証することを極端に嫌うのだがそれはなぜかと言えばそうした方が官僚機構にとって都合がいいからだがそのあたりはまたの機会に述べるとして鳩山内閣の面々と与党となった民主党の組織について検証していこう。
 日本は議院内閣制の国である。「国権の最高機関」と位置付けられる国会で多数派を形成する勢力が首相を選び、或いは首相に不信任を突きつけることができる。もちろん法律も全て国会による多数決によって決められる。つまり多数派勢力(与党)の内部が常に磐石でなければならないのであって、もし与党の一部が反対勢力(野党等)に寝返ることがあればそれだけでこの国は機能不全に陥ってしまうのである。選挙によって与えられた権力を維持するためには常に組織の団結に腐心することを制度的に強制されているのが日本の政治である。
 組織が一致団結を維持するために必要なこと、が「人事」である。400人以上が所属する党内がただトップの威光だけでまとまるわけがなく、様々なレベルで(例えば新人議員層、中堅議員層、ベテラン議員層という具合に)一定の意見をとりまとめる者を配置しなければ組織はただ目的もなく漫然と日々を過ごすだけである。それが安部政権以降の自民党の実態であった。
 組織、と言うと物々しいが、要は性格も好き嫌いもまるで違う人間が集まっている集団があって、その集団を一つの方向に集約させるためには適材適所の人員配置が必要だというだけの話である。そのような前提で今回の組閣人事を見ると、この人事が合理性を持っていることが見えてくる。
 まず衆議院当選3回・参議院当選2回以下の新人議員(福島消費者・少子化担当相のみ2回)を活用しなかった。代わりに「旧民社系」「旧社会党系」であってもベテランを多く活用した。これは民社党グループ・社会党グループの鳩山首相への忠誠心を強めると同時に、「政治家は選挙に勝ち続けてこそ一人前になる」というメッセージを表している。地元の選挙民も納得させられないようでは党内や官僚や国際社会を相手にやっていくことはできないという当たり前のことが「小泉サプライズ人事」で忘れ去られていたが、ようやくそれが元に戻ったのである。若手はとにかく余計な色気を出すことなく、選挙地盤を安定させることに力を注ぐことになる。しかしながらベテランの中に岡田外相、前原国交相原口総務相長妻厚労相と次世代のホープたちを入れることで「次世代の育成にも力を入れている」こともアピールしている。この人事を見て、かつて池田内閣や佐藤内閣において次の世代である三角大福中が積極的に登用され、また三角大福中の内閣においてその次の世代である安竹宮が登用され自民党内部が活性化したことを思い出した。そうするとやはり当時の実情を知る小沢幹事長の存在を意識せざるを得なくなる。「小沢幹事長」と聞いてイメージするのは細川内閣の新生党代表幹事ではなく、海部内閣の自民党幹事長でもない。小沢は恐らく佐藤内閣の田中角栄幹事長を意識しているはずである。
 国民新党社民党の党首を閣内に入れたのはそうすることによって政府の方針の枠内に閉じ込めるためである。政府の方針とは首相の方針なのであり、両党首は「党首として」ではなく「閣僚として」民主党党首=首相に異議を申し立てなければならないのだからその力は格段に落ちることになる。これは細川内閣において各党の調整を閣内ではなく「与党代表者会議」で行った反省によるものであろう。亀井が金融・郵政担当相で福島が消費者・少子化担当相という重要なポストにいることは大して問題ではない。最終的には内閣の方針に従わざるを得ず、従わず閣僚辞任となれば連立を離脱することを意味するが、過去に連立を離脱した政党が無傷であったためしはない(橋本政権の新党さきがけ社民党、小渕政権の自由党)。
 やや話が脱線してしまったが、このように特色のある人事を行うことは近年なかったことである。今回の人事は、自民党全盛期で派閥が色褪せてなかった頃の「組織内部のそれぞれのグループを競わせて全体として活性化させる」ための人事を彷彿とさせる。この人事は権力を維持するにあたって「組織と人事」がいかに重要なのかを心得ていると言える。そして藤井財務相の起用に至っては小沢側と鳩山側で綱引きが行われているとさかんにマスコミは伝えたが、藤井が財務相に適任であることは小沢もわかっているはずで、そうでなければ引退するはずだった人間に無理を言ってもう一期議員をやらせた意味がない(マスコミはもうすっかり忘れているが、小沢は選挙担当の代表代行であった)。これは推測だが、最終的に藤井を財務相に起用したことで鳩山のリーダーシップに対する評価が確かなものとなったことから考えるに、何らかの仕掛けが民主党首脳陣の間で行われたはずである。権力を行使する者がその手の内を全て公開することはあり得ない。その深奥部を探るのが政治を検証する者の責務である。
 以上、テレビ・新聞・雑誌から垂れ流される情報をもとに勝手に検証したわけであるが、そんなに的外れなことは言っていないはずである。というわけで来月には新しいビデオを買って俺の機嫌も直っているだろうが引き続き「政治権力の研究」と称してえらそうに語ってみたいと思います。やはりこれからはビデオで録画ではなくDVDで録画の時代なのだろうか。しかしDVDで録画というのは抵抗があるんだよなあ。