雪の断章/佐々木丸美[講談社:講談社文庫]

雪の断章 (講談社文庫)

雪の断章 (講談社文庫)

 雪は冬の象徴である。冬の凍てつく寒さは痛みと共に身体が透き通るような快い緊張を与え、人生を生きる人間に強い芯というものを教えてくれる。それが恵まれぬ弱き者にとってどれだけ支えになるか、悠久の自然を前にすればいかなる出自であっても人は皆公平であることを教えてくれるのである。作中の言葉を借りれば「どんな人間にも、喜びと苦しみは公平にやってくる」のであり、孤児として過酷で幸せな運命に出会いながらも雪のように白く儚く強く生きる主人公と、そんな彼女を見守る厳しくも優しい人たちを俺は美しいと思ったのだ。喜びと苦しみが糾える縄の如く進行し、嘆き苦しみながらもそれぞれの人生を選択する姿はまことに美しい。
 孤児として育ち、暴君の住む家に放り込まれた少女は苦痛と失意の果てに一人の青年と出会い、救われ、思春期を迎え大人になるわけである。青年も青年を取り巻く人々も偽りのない優しさで彼女を包み込むが、青年と出会うきっかけとなった辛い日々の記憶はいつまでも彼女の奥深くに沈殿して苦しめ、やがて思春期を迎えて表面の裏にある大人や社会のもう一つの顔に驚愕し絶望しながらも自分を救ってくれた雪に助けられ、孤児である自分を苦しめた社会や人間たちを憎み、大好きだったお姉さん同然の人が好きな人に想いを打ち明けることなく別の人と結婚するのに「それでも自分は幸せだ」と言うことが理解できず、真実を求めて何度も何度も彷徨する姿は涙を誘おう。彷徨する主人公に添えられる文章は童話のような暖かさと氷のような冷たい切れ味を持っていて、読む者はそこに暖かさと冷たさを秘めた人間の神秘を感じることになろう。
 本作は現代の童話である。殺人事件が起こり、女たちの生々しい恋心と嫉妬といじらしさが描かれ、作中で言及される本当の童話のハッピーエンドとは程遠い結末を迎えるが、それでもこの登場人物たちの美しさは童話的である。苦しみと喜びが交錯し、人は流れ、やりきれない真実を突き詰められてもなお自分の幸せを求めてついにそれをつかむことができたというロマンの体験と、幸せに辿り着くためには幾多の困難を乗り越えなければならず、恐ろしい真実を直視しなければならないということが降り積もる雪のように静かに主人公にも読者にも染み込まれていく感動、これこそが童話である。ああ良かった、このような小説に出会えて俺もまた幸せだ。
 
 どんよりと曇った天から純白の雪がおりて来る。空の精がおりて来るのだ。両手をのべるとニ、三片が手のひらに舞い立った。手が冷たくなっているので溶けなかった。口をききたい。雪の言葉を理解したいと思った。私は雪の声を聞いた。
 裏切りがあるから信じ、崩れるから積むのでしょう、溶けるから降るように。
 降ることも溶けることも自然の意志で行為は同じ。なぜ積むのが大切で崩れるのが哀しいの?信じることよりも裏切ることの方がなぜいけないの?同じ心から生まれたものに正しいとか正しくないとかってそれはどういう意味なの?自分たちで作り出した感情と行為に苦しむことが理解できない。雪はみんな白い。人間もみんな心を持っている。何もどこも誰も変わってやしないのに。すべてが同じで繰り返すのだから寂しい目をしないで―――。
    
 きれいな雪の中へ歩いていくのがまるでお伽の国へ王子さまを求めていくような感じがした。雪は空の泡かもしれない。消えてしまわないうちにまっすぐに進もう、それは神さまがこわれやすい愛を守るために降らせてくれているのかもしれない。雪のむこうで待っていてくれている王子さまの愛と合わせた時に、初めて強い二人のものとなるはずだ。
 でも私の王子さまは私への愛をもっていない。雪よもっと降れ。愛を守るために。
  
「何のことかわかりません」
「おまえの気持ちを読めないと思っているのか」
「――私の気持――私の――?」
「言いなさい。取りかえしのつかなくなる前に」
 たくさんの考えが入り乱れた。思い出も嫉妬も哀しみも諦めも甘えも悔いもいっさいが熱く炸裂した。
「私は――孤児です」
「それがどうしたのだ」
「あなたが育ててくれたのです」
「そうだ、それがどうした」
「――だから口が聞けません」
 あたりが曇って見えなくなった。涙がボタボタと落ちた。裕也さんがテーブルを回ってそばに来た。両方の肩に手を置いて力をこめた。抱きよせてはくれなかった。
「こわがらないで言ってごらん。どうしてもお前の方から言わなくてはならないのだ」