昭和二十年の「文藝春秋」[文藝春秋:文春新書]

昭和二十年の「文藝春秋」 (文春新書)

昭和二十年の「文藝春秋」 (文春新書)

 昭和20年。言わずと知れた敗戦の年、大日本帝国の崩壊と戦後日本国のスタートという日本史上の大転換の年にも「文藝春秋」は発行されていた。8月15日以前も以後も日本国民ほとんど全てが何とか生きるのに精一杯だった頃によくまあやれたものだが、当時の雰囲気が今までに読んだ昭和20年ものを遥かに凌駕して生々しく伝わってきて、いつもは寝転がって読む俺が「これはかなり時間をかけてじっくり読まなければならない」と無意識に姿勢を正していたぐらいだ。
 しかし8月15日以前に発表された記事のほとんどは今読むと笑えないユーモアとしか思えないものが大半であって、「空襲を怖がっていては敵の思う壺だ。図太くなれ。腰の抜けた時には梅干や酢を口に含むとよい」「砂糖がなくなれば、草の根を吸い、ダイナマイトを齧る。ダイナマイトはすばらしい甘味品である。ただし下痢になるが、危険な爆発薬をも食糧とする兵隊の機智は兵隊の芸術である」「食糧不足、配給不足対策には味噌がよろしい。栄養も豊富だし一度に多く食べられないから不公平が出ることもない」…。いくら官憲が目を光らせていたとはいえこれが天下の文藝春秋の昭和20年の姿かと思うと切なくなってしまう。
 また本土上陸を目の前にしてなおも戦意高揚のために書かれた文章が痛々しい。そして力強い言葉が並べられても読後弱々しい印象しか残らないのはやはり当時の人々が既に敗色濃厚であることを悟っていたからであろう。「今日に及んで必勝の信念が何になるかと問うのか。然らば必勝の信念なき事がいかに戦力に役立っているのかと反問しよう。必勝の信念こそ無形ではあるが有力な戦力なのである」「軍事戦は総力戦中の頂点になる最大の部面ではあるが、それでも我々の聖戦はいわゆる総力戦以上の総力戦であって軍事戦を唯一の面とはしていない。軍事戦を過大視することは過去の考えにわずらわされた錯覚である」「フィリピンが万が一不利であろうとも国内がこれによって大いに覚醒する所があったとしたならば、フィリピン一局面の不利の如きは意としない。こう考えている自分にとっては戦局の苛烈が国人をして事毎に物事にひとつ残らず国人の反省の料となり、真に知あり仁あり勇あるあかききよきなおき真の日本人たるの諸資格を刻々と賦与する絶好の機会たらんことを祈って」…。
 三月号までは何とか出版したものの、その後東京大空襲などの混乱があってついに発行できず、次に発行されたのは敗戦後の10月号である。戦時下の呪縛から解き放たれ、思う存分軍部の悪口を言えるわけだが「冷静にこの敗戦を迎え入れよう。軍人たちに踊らされたとはいえ、それは我々にも落ち度があったから踊らされたのだ」と反省の態度が垣間見えるのがさすが文藝春秋である。「今度の戦争を始めたのは、ごく少数の軍閥に相違ないが、そうした少数の軍閥に、兵馬の権を壟断せしめたことは、国民全体の責任である。国民が、もっと政治に関心を持ち、立憲政治の確立を念とし、政党内閣制だけでも、堅持していたならば、おそらく今度のような大悲運を招かなくてすんでいたであろう」「戦争中は、第一線の将兵を鬼神扱いをし銃後の国民を悉く聖賢扱いにせんとした。すべて、物資の不足を補うためであった。が、鬼神になりきり、聖賢になりきっても勝てるかどうか疑問である。いわんや、我々は聖賢にも鬼神にもなりきれぬものである」「我らは完敗したのである。進駐軍とか、終戦連絡中央事務局とかいう言葉はおかしくないか。戦争中から我らは、いかに言葉の手品と空威張りに禍いされていたことか。完敗の今日、気休みになることは一つもないのである。事実を冷厳に直視しよう。占領軍であり、敗戦連絡中央事務局である」…。
 ちなみに本書中で最も印象深かったのは3月号に載った芥川賞受賞作「雁立」である。時局とは全く関係のない昭和初期らしい静かな恋愛小説であるが、俺にはこの重苦しい時代にあってこういう小説が世に発表されたことが唯一の救いのように思われた。
 「日本人は昭和20年をもっと知るべきだ」とは思わない。俺もこんなに希望のない時代に触れたくはない。しかし、まあ、読んでしまうんだろうなあ。