ツチヤの口車/土屋賢二[文藝春秋:文春文庫]

ツチヤの口車 (文春文庫)

ツチヤの口車 (文春文庫)

 例えば俺はこのブログを通じて文章を発信するがなぜそんなことをするのかというと理由として以下が挙げられる。
 1:俺はすごく頭が良くて文才もあることを褒められたいから
 2:できるだけ多くの人に褒められたいから
 3:そんなことは無理だとわかっていてもそこはかとなく褒めてもらえる期待が持てるから
 以上3つ以外にも俺の醜い汚い本性をさらけ出せばあと85個ぐらい理由はあるのだがさすがにこれ以上やると誰も褒めてくれないどころか誰も見てくれない危険性が皆無ではないので、つまりそういうことなのである。なぜそんな俺以外のごく少数のほとんど全ての人がわかっているようなことを言うのかというと本書を読んだからである。土屋大教授のひねくれたというか卑下しているというか人を小馬鹿にしているというかとにかく一度読んだらやめられない独特の世界に浸っているとひねくれたことのない俺も思わずひねくれてしまうのであります。
 それにしても本書は驚くべき哲学エッセイである。どこが驚くべきなのかというと貧相な中年男の愚痴がこれでもかこれでもかとばかり書かれていてそれ以外にどんな事が書かれてあるか探しているうちに読み終えてしまったところが驚くべきところである。さしずめ「透明感がある」ということだろうか。ちょっと違うな。昔ニュータイプアニメージュを読んでいた時に(立ち読み)ラブコメはないかラブコメはないかと探していたら全てのページをめくってしまってしばらくしておおそうか全部読んだのかと驚愕したことがあったがそういうどうでもいいことを思い出させてくれるのが本書のいいところである。だが何よりいいところは本書を神保町の小宮山書店ガレッジで100円で買えたところであって、さすが土屋大教授は金はないが向学心に燃える俺のような者のために100円で本書を提供してくれたのである。
 ちなみに俺と土屋大教授は何の関係もないので全然関係ないことを書くが俺が上京してここ東京に居を構えてそして初めて行った神保町で初めて買った本は土屋大教授の「われ笑う、ゆえにわれあり」である。この時も「(1400円するが特別に)100円(で売ってやろう)」と本の裏表紙に貼ってあったシールに書いてあったので100円で買っておりそれが強烈に印象に残って他のこと(特に本の内容について)は一切記憶に残っていないがそれぐらい俺は読書熱心な誰からも褒められる男なのである。100円で買ったあの時の衝撃が忘れられないからたまに本屋で見かけても105円以下じゃないと買わないよう土屋大教授からきつく言われているのでる。
 しかし先ほども言ったように土屋大教授は自分を卑下してこのようなエッセイを書いておられるのである。大学教授ともあろう人が本当に本書のようにだらしなくて妻の尻に365日敷かれているわけがなく、このように自分を卑下することによって「先生は被加虐性快感症なのですね」と尊敬の眼差しを向ける学生が増えることを確信しておるのであろう。或いは「今からボケておいて本当にボケた時にボケたとわからないようにしているのですね」とこれまた尊敬の眼差しを向けるボケ予備軍が増えることを確信しておられるのかもしれない。どちらにしても俺には到底真似できずむしろ真似したくないとさえ思わせる描写力は見事である。いかん、俺が書くとどうもイヤミや敵意があるような書き方になってしまう。つまり俺の文章は洗練されてないが土屋大教授の文章は洗練されているから流れるように面白く読み進めることができるのであって、このようなエッセイは簡単にできるようで実はなかなかできないのである。そんなわけで結局俺は何を言いたいのかというと以下が挙げられる。
 1:さっさと書き上げて飯を食いたい
 2:さっさと書き上げて寝たい
 3:さっさと書き上げて風俗に行きたい