官僚との死闘がはじまった

 「検察は国家権力・政治権力に左右されない。検察は時の政権から独立し、公平に捜査している」「官僚機構が、官僚に立ち向かう政治家を陥れるために事件を起こすことなどありえない」などと信じる者はこの国の政治も歴史もわかっていない者である。検察はその歴史において常に権力に媚び、迎合し、時の権力の都合のいいように逮捕あるいは見逃してきた。三木政権時のロッキード事件が前者であり、竹下政権時のリクルート事件が後者である。金丸事件に至っては5億円のヤミ献金が発覚したにもかかわらず当時の経世会支配に「配慮して」二十万円の罰金で事を収めたが、後に経世会竹下派と羽田・小沢派に分裂して弱体化したと見るや途端に金丸を「所得税法違反」で逮捕した。明治や大正の話ではない。たかが10〜30年前の話だ。あの時誰もが、検察ほど政治権力に過敏な官僚はいないと思ったはずだ。それをもう忘れているのだろうか。
 今のところ「東京地検特捜部が動くということはほぼクロで間違いない」「検察が選挙前だとか気にするわけがない」等と検察を擁護する声が圧倒的のようだが、俺にはそれが不思議でたまらない。権力には条件反射的に反抗する2ちゃんねるをはじめとした21世紀の庶民たちが検察の肩を持つ。自らが選んだ国民の代表よりも検察官僚を応援する。マスコミは検察のリークを右から左へ垂れ流す。歴史は繰り返すというが、これではロッキード事件の猿真似ではないか。一体何をやっているのだ。「東京地検特捜部が動くということはほぼクロで間違いない」というが、いつの間にそんな信頼関係が検察と国民の間にできたのだ。
 先週俺は「表面的なことに目を奪われていては官僚が笑うだけだぞ」と言ったが、実態はそんな生易しいものではなかった。検察をはじめとした官僚は今、官僚機構にメスを入れる者に戦いを挑んでいるのである。
 90年代以降の不況の嵐の中で官僚は国民に徹底的に嫌われたが、自民党との二人三脚関係が続く限り問題はなかった。独自の情報パイプやシンクタンクを持たない自民党は国家機密のほとんど全てを官僚からの情報提供によって獲得し、代わりに官僚は特権や地位(を定める法律)を聖域化することで強固な支配体制を築き上げてきた。そして重要なことは、与党が自民党から民主党になってもこの「与党と官僚の二人三脚体制」が続く限り官僚にとって何の問題もないということである。しかし民主党の代表は小沢一郎であった。田中角栄竹下登金丸信の系譜に連なり、権力の表も裏も知り尽くしている小沢ならば本気で官僚機構は根底から覆されるかもしれない。危機感を強める官僚たちの下へフラリとやってきたのは権力のケの字もわからぬ麻生である。前首相・福田と違い民主党と対決路線を突き進む最高権力者はこの官僚たちの動きを悟って密かにゴーサインを出したに違いない。もちろん俺の言っていることはただ外から眺めてそう想像するだけだが、そう的外れなことを言っているとは思わない。
 任期満了から半年もないこの時期の公設秘書逮捕は偶然だろうか。「仮に小沢が首相となれば揉み消されるからこの時期に逮捕に踏み切った」とすれば、過去何らかの事件が揉み消され検察がそれに屈したことがあったと認めることになる。「犯罪者を逮捕するのにそんなことは関係ない」というが、そもそも犯罪者かどうかは裁判所が決めるのであって検察(官僚)ではない。この時期に逮捕したからには何らかの意図が絶対にある。忘れてはいけないのは、この国の実権は官僚が握っているということである。
 もし民主党が政権を取れば、官僚との死闘がはじまると俺は思っていた。しかしそうなる前に官僚はもうゴングを鳴らしたのである。これに民主党がどう戦うか。そして世論、国民はこれにどう対応するのだろう。よくマスコミは「〜が関係者の話でわかった」「〜の取材で〜の事実がわかった」という言い方をして我々に情報を提供するが、これが「検察からのリークである」ことを我々に伝える精一杯の表現なのである。なぜならマスコミは検察や警察からの情報提供がないとニュースが書けない。マスコミは政治家や官僚を批判することはできても検察・警察を批判することはできない。その事を踏まえて我々はこの、日本政治史上の大事件を見守らなければならないのである。