官僚はほくそ笑む

 さて「名誉」と「実利」(金や特権や将来への保障)が目の前にあるとして、諸君はそのどちらを選ぶであろうか。名誉を手に入れると皆に褒められちやほやされるだろうが、ちやほやされるだけで金をくれるわけではないのなら名誉など大したことはない、よって「実利」を取ろう、と諸君は思うだろう。俺もそう思う。「名を捨て実を取る」などと改まって言うとニヒリズムの香りがするが、一般的な、ごく当然のことだ。
 「名を捨て実を取る」方法を好んで使う、或いは常套手段とするのは官僚である。財団法人、公益法人、社団法人と次々と名を捨て(代え)ながら官僚としての特権を絶対に放さず生き延びる手腕は我々のような凡人には想像を絶するものがあるが、その最たるものは民営化である。「名を捨て実を取る」官僚が民営化という時代の波に抗するわけがなく、民営化とは名ばかりの独占企業を作ることこそ官僚の得意とするところである。そんなことはちょっと考えればすぐわかることだ。
 「国家(或いは国営企業)が鉄道事業、通信事業、郵便事業を独占的に行ってきた。それでは自由主義経済における競争原理が起きず、国民はいつまでも高い料金を払わされることになるから民営化した」、と我々は聞かされてきた。だがそれでハッピーエンドとなっただろうか。民営化された巨大企業が法律的根拠の下に生かされ、純粋な民間企業がその事業に新規参入できないのであれば競争原理は起きない。つまりその巨大企業は国営ではないが実質民間でもない、しかし特権だけはいつまでも持っているという余計に厄介な存在に変身してしまうのである。これが「名を捨て実を取る」でなくてなんだと言うのか。JR、NTT、日本郵政の実態を見ればすぐわかることだ。
 麻生は「郵政民営化には反対だった」と言い、小泉は「そんなことを言うとは。笑っちゃうぐらいあきれる」と言った。問題は民営化か否かではなく民営化の中身であるはずなのにマスコミはそれに飛びついた。マスコミの視線がそこへ集中しているうちに狡猾な官僚たちは必ずや何かを仕掛けるだろう。そう言えば「かんぽの宿」問題も非常に胡散臭い。鳩山大臣以下総務省日本郵政株式会社を攻めるという構図だが、それを正義とか公明正大とか言う阿呆はいない。総務官僚及び日本郵政官僚には何か企みがある。そうでなければ官僚がわざわざ騒ぎ立てるわけがなかろう。民間出身の西川社長を蹴落とし後釜を狙っているといった生易しいものではなく、これを機に一層官庁からの規制を強めるのではないか。何度も言うが、政治は血みどろの闘争なのである。
 中川アル中大臣の問題にしても俺が気になるのは官僚との関係である。なぜ彼らはあのアル中を止めなかったのだろうか。国会の政府演説で16分の演説中26カ所も読み間違いをした男である。またいつヘマをするかわからず、財務大臣の恥は財務省の恥でもあるのだから「ちょっと大臣は体調が悪いので」とか言って会見を中止する理由はいくらでもあるはずだ。それを止めなかったのは景気対策と称して大盤振る舞いを唱える現政権への強烈なパンチであろうか。後任には財政再建派の重鎮・与謝野がついた。しかも三大臣兼務とあっては財務官僚は好き放題動くことができる。それともやがて政権を握る民主党へのエールだろうか。
 どうも最近官僚の動きが怪しい。政権末期のどさくさに様々な企みが水面下で進行している。これを監視することこそマスコミの役割であるが、相変わらず「政策本位で国民目線の議論を」の一点張りである。特に阿呆なのが「審議拒否や駆け引きではなく堂々と議論を」というやつであって、それでは時間通りにはじまって時間通り質疑応答して政府与党案は全て成立するだけである。そんなことは高校生でもできることだ。審議拒否や高度な頭脳戦によって政府与党案を修正させることこそ野党の存在意義なのである。国際経済がグローバル化した弱肉強食の厳しい世界であるならば、政治は権力を軸にした死闘である。諸君にはそのことをはっきりと認識して頂きたい。官僚がほくそ笑むだけである。