ファイティング・スピリット!

 連日連夜TVに映し出されるオバマ米大統領の姿を見ているとふとキング牧師を思い浮かべてしまう。黒人差別に最後まで非暴力をもって戦い、殺され、それから長い長い年月が経って今こうして黒人が大統領になったことを彼はどう思うだろう。恐るべき人種差別の国・アメリカはついにその人種差別を克服したのである。そういうところにアメリカの強さがある。
 聞くところによるとオバマはかつて社会の底辺の人々へのボランティアに従事していたことがあるという。そんな人でも大統領になれるところがアメリカの素晴らしいところだと誰かが言っていたが、そういう点では日本の方が進んでいる。37年前に、日本では小学校卒の男が総理大臣になったことがあるからである。オバマを見ているとキング牧師と、その男・田中角栄を思い浮かべてしまう。困難に断固として立ち向かい、時には権力を力ずくでもぎ取る「戦うリーダー」は一体どこに行ったのだろう。首相の孫や子供がエリートコースよろしく首相や大臣になったところで実にどうしようもないではないか。前々からわかっていたことだが、この国には希望がない。
 グローバル経済に翻弄され危機に瀕している東証一部上場の会社員として言わせてもらえば、誰も麻生に期待していない。すがるような目つきで見ているのはオバマ米政府が繰り出す経済政策である。アメリカの景気が回復すればアメリカはそのマネーを世界中に展開させるだろう、と。麻生に期待しないこともなかったが、ひん曲がった口から出たのは「1万2千円くれてやるぜ」という何とも器の狭いというか次元の低い話でしかなかった。思えばこの時からこの政権はもはや政権とも呼べない末期症状に陥っている。
 大体1万2千円配ったら景気が良くなると本気で考えることが非現実的過ぎる。東京から我が故郷兵庫県糞田舎まで1万2千円では帰れない。五反田の風俗だって1万2千円では無理である。何より国民がやる前から呆れ顔である。これで景気が良くなるわけがない。それでも麻生が強気なのは、誰もそんな麻生に親身になって忠告したりするものがいないからである。むしろ今の自民党は何とかして麻生を総理総裁の座から引きずりおろしたい。だがそんな事をすればいよいよ自民党は国民からソッポを向かれるだろうからせせこましく身内批判を繰り返すのである。末期症状だ。
 俺は「国民のことを考え、政策第一で政治をしろ」とは言わない。政治家はもっと権力闘争・政争を大いにするべきである。血みどろの権力闘争に勝ち抜いた者こそがこの未曾有の弱肉強食のグローバル経済の荒波を生き抜く資格を持つのだ。かつて三角大福中という時代があった。彼らはいずれもリーダーとしてのファイティング・スピリットを持ち、困難に立ち向かうエネルギーがあった。更に重要なことは、彼らは世襲議員ではなかった。皆多かれ少なかれ一人で立ち上がってきた猛者たちであった。その面影が今の自民党にあるか。答えはノーである。
 「負けるかもしれないから戦わない」リーダーについていくものなどいない。会員制のバーで葉巻をくゆらせながら豪快に笑う麻生を見るとその裏にある気弱さがちらついて仕方がない。気弱なままに選挙を先送りするものだから「政局より政策」と言いながら腰が定まらず定額給付金ごときで発言が右往左往してしまうのである。「大いなる楽観主義」もいいが、今世界は金融危機の中で何とか生き残ろうと国益を賭けて死闘を繰り広げている。ピンチはチャンスであり、日本としては巨額の金を援助してその見返りに懸案の外交・安全保障問題を解決させることもできるのだが、この国の総理もマスコミも「国際協調が大事」の一点張りである。何度も言うが、国際社会は善意で作られてはいない。戦争がないからといって戦いがないわけがない。問題は根深いが、とにかく百万二百万の金ごときで大騒ぎするマスコミから何とかした方がいい。小さなことにばかり目を向けていると巨大なものについてはその巨大さゆえ視界にも入らず、気が付けば後の祭りということを繰り返すだけである。