凡宰伝/佐野眞一[文藝春秋:文春文庫]

凡宰伝

凡宰伝

 これはかなり面白いのではないかと、読み始めて数ページで思わず身構えてしまった。作者は「東電OL殺人事件」で知られる佐野眞一であるから読む前から期待はしていたが、これは俺が慣れ親しんでいる政治家の評伝でもなければ非現実的で空虚な理想論を振り回す政策ユートピア本でもない、とにかく今までに読んだことのないノンフィクションである。あまりにも面白いのでどんどん読み進み、いかんこのままではもう読み終えてしまうと時間調整までしたくらいである。
 本書は第84代総理大臣・小渕恵三の人柄やその政治手法の全貌について、本人へのインタビューを交えて明らかにした評伝である。いや「明らか」にはなっていない。本書で繰り返し繰り返し語られるように小渕は東大出でもなければ官僚でもなく、2勝4敗の万年落選政治家の息子でしかないただの「庶民」である。国家百年の計もなければ確固たる政治哲学もないのになぜか首相の座にのぼりつめたのであり、それは戦後日本をここまで成長させた「庶民」の生き写しだと作者は最後に結論付けるのであるが、ではその「庶民」とは何か、を明らかにできずに本書は終わるのである。
 小渕を語る上で欠かせないのは首相になるまでの「実績の無さ」である。「平成おじさん」「ビルの谷間のラーメン屋」というのは政治実績とは何の関係もないパフォーマンスでしかない。佐藤派、田中派竹下派という「自民党最強にして最大の派閥」に属していながら政局のキーマンとして登場することは皆無なのである。竹下派七奉行・竹下直系と言われながらも常に橋本龍太郎小沢一郎の後ろにいた男が首相となったのはなぜか。そこに小渕の、庶民としてのたくましさ・図々しさ・我慢強さがあり、それを知れば知るほどこの男の正体は明らかになるどころかわからなくなってくるのである。
 中選挙区制時代の小渕の選挙区である群馬三区(四人区)は自民党から福田赳夫中曽根康弘社会党から山口鶴男が出馬するという日本有数の激戦区であり注目区であった。福田・中曽根は東大卒・官僚出身というエリート且つ堂々と天下国家を論じることができるエスタブリッシュメントにして宰相の大器であり、山口は後に書記長まで務めることになる社会党の大物である。その三人に票も金も何もかも奪われる中をじっと耐えて耐えて連続12回当選し続けた力量は並大抵のものではない。その姿は艱難辛苦をもってなお事業に打ち込む父親のようであり、またエコノミックアニマルとまで言われる日本人のようである。
 小渕は「みんなから馬鹿にされながら、最終的に美味しいところをちゃっかりいただいてしまう」という、戦後日本の庶民の姿を極めた男である。経世会支配の自民党の中枢にいたということは血みどろの自民党派閥抗争のすぐそばにいたということであって、その中で持ち前の人当たりの良さと気配りから周りに危険視されることなく時には馬鹿にされながらも「熟柿が落ちるのを待つように」して首相となった。首相になるや自公連立をはじめとして新ガイドライン法・盗聴法・国旗国家法を次々と成立させながらもそのパーソナリティから国民にも何となく支持されるという奇妙な政権運営を行うのだが、これぞ日本的と言わずして何と言おうか。我々政治ウォッチャーも、ともすれば「経済失政の橋本」と「神の国発言の森」に挟まれたこの小渕政権時代を忘れてしまうのだが、確かにこの男は非常に特異な存在である。
 また小渕は筋金入りの庶民であることを公言し、その庶民である自分が首相となったことを楽しんでいるようにも見受けられたという。有名な「ブッチホン」がそれであって、とにかくあたゆる人に自分から電話をかける。いきなり「総理の小渕です」と言われては政治家や官僚ならともかく普通の人はびっくり仰天、天変地異に等しき事態に陥る。話す内容がまたへりくだった言い方であり、「すいません」「厳しいご指摘、誠にごもっとも」「これからもご指導下さい」などと言われては庶民は全身恐縮の塊となり、以後すっかり小渕に心を奪われ悪口など金輪際言えなくなってしまう。小渕は庶民とはそういうものだということをよくわかっていたのである。またそのようにへりくだった言い方をして自分への好感度を暴騰させ、また相手をとことん恐縮させることで自分がこの国の最高権力者であるということを全身に実感させるというわけであって、これこそまさに普段は身分を偽り最後に大どんでん返しで相手をやり込める国民的時代劇「遠山の金さん」や「水戸黄門」の現代版である。それは首相という権威を貶めたかもしれないが、常に落選の危機につきまとわれ、「投票後から選挙は始まっている」とまで言うほど庶民への気配りにその政治生命をかけていた小渕にとっては当然の事であったろう。
 残念ながら本書は小渕恵三という日本政治史上非常に特異な人物について明確な結論を出してはいない。それらしい事が終盤書かれてはいるが、庶民として生まれ、庶民と共に育ち、庶民を利用しまた庶民に利用された彼を総括するにはこの「庶民」とは何かという、極めて複雑な問いに答えなければならなくなるからである。本書はそれを考える非常に優れた参考資料であって答えではない。俺ももちろん答えなど出せない。だがこの本を読めたことは俺にとって大変大きな収穫であった。だから読書はやめられないんですなあ。