死の蔵書/ジョン・ダニング[ハヤカワ書房:ハヤカワ・ミステリ文庫]

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 自意識過剰な俺の輝かしき読書方程式として「SFは国内、ミステリーは海外のものを読む」という棲み分け措置が取られてだいぶ経つが、今のところ苦情が来ていないところを見ると問題ないようである。そのような意味のない限定(まあ本当に意味はないねえ)に批判的な俺の中の俺が忘れた頃に抗議の声を挙げるが、大体国内SFにしろ海外ミステリーにしろ一生のうちに読みきれんぐらいあるのだろうからまあ別にいいでしょう。しかし読書家の皆さんはそのあたりどう折り合いをつけているんですか。
 何度も言うように俺がミステリーを苦手とするのは「警察とは何の関係もない私立探偵や大学教授や一般人が殺人事件を勝手に捜査する」という荒唐無稽さにあるのであって、しかもそれをさも当然の如く読む頭の弱いスイーツ女((笑)も入れておこう)がゴマンといるとなれば吐き気すら催してしまうのである。糞阿呆の極北と言われる俺でさえ「ラブコメなんてのは所詮もてない男の自慰漫画だ」という認識を持たなくてはいけないと日々気を付けているのに俺より金もあって力もあって天性の美貌に見初められている貴様らがそんな調子ではどうするのだと言いたいのであるが、それはさておきそのような荒唐無稽さも外人のしわざとわかると特に違和感も反発も感じないというのはどういう訳か。きっと読書の女神が「そんなことではあなたは一生ミステリーを読めませんよ。だから外人のしわざなら問題なく読めるようにしてあげましょう」と魂の筆下ろしをしてくれたに違いない。
 海外ものというのはとにかく会話が洒落て粋があって面白いものだが、主役が30代後半の腕利きの刑事と来れば無敵というものである。日本人だと「何をかっこつけとるか。アメリカのハードボイルド小説の主役気取りか。けっ」となるが外人が「君は一日中いい子だったんだ。最後の瞬間になって、そんな風に人を追いつめるのはやめてくれ。さあ、準備はいいか。帰るぞ」と言っても違和感がないのである。まあ俺がひねくれの阿呆たれなだけかもしれんが、読んでいるうちに自分もこのような気の効いた言葉がふっと出せそうな気がするではありませんか。夜のショットバーで一人黙々と酒を飲んでいる俺に見知らぬ女が「ちょっといいかしら」とか言ってしまった俺は酒が飲めんのだ。
 主役の刑事は古書マニアでもあり、被害者は古本の掘り出し屋(日本で言うところの背取り?)であることから「被害者はとんでもない本を手に入れたからその本を狙って殺されたのでは」とその街の古本屋関係の人々から聞き込みをして徐々に徐々に話が広がっていく展開はオーソドックスながらコツコツ古本を買いあさる古本マニアのようで読んでいて非常に楽しいものがある。また中盤には殺伐とした刑事稼業をやめて古書店を持つようになるのだが、念願の古本屋デビュー前後のワクワク感というのは楽しいというより主役と一緒に疑似体験しているようで素晴らしい体験であった。登場人物が多いわけでもなく、謎解きや推理といった本格的なトリックがあるわけでもないが、それだけに古本に関わる人たちと殺人事件との結びつきが自然に感じられ実にスラスラと読めたのであった。やっぱりミステリーっていいねえ。古本っていいねえ。
 惜しむらくは主役がアメリカン・スタイルに則って意中の美女に対して軽々と口説くところか。いくら外人といってもこれは読んでいて鼻についてしまう。「いい加減にしてくれよ。君はどうして心を開かないんだ。ほんの少しでいいから、心の扉を開いて、こっち側に何があるか見てくれ」「世界は男と女の関わり合いで動いている。そうなったらなったでいいじゃないか」…。まあもし奇跡が起こって俺に女を口説くチャンスができたらその時また本書を読み返そう。