昭和のエンタテイメント50篇(上・下)[文藝春秋:文春文庫]

 おおおおい、画像が出てけえへんやんけ。何がはてなじゃボケが。
 別に俺は活字離れというやつを憂うつもりはない。なぜなら本を読むということは必ずやその人の人生にプラスになり且つ賢くなるからであって、そのようなことに多くの人が気付いてしまっては困るのである。つまり阿呆は阿呆のままでいてくれた方が俺を含めた我々にとって都合がいいのであるから、無理して読ませる必要はないのである。「本を読まない奴」に本を読んでもらおうとない色気を必死で出そうとするから昨今の文芸は低レベル化を辿る一方なのであって、よく言われているように「漫画で稼ぎ、文学で放蕩」すればいいのではないかな。なんて言ったら怒られるか。まあいいか。
 筒井康隆は「いい短編集は長編数冊分の読み応えがある」と言ったが、まさにその通りなのが本書である。64年の長き昭和の時代に生み出されてきたエンタテイメント系小説が縦横無尽に暴れまわりとにかく俺は心を奪われた。いやはや小説ほど面白い娯楽はないということを再認識させられたのであって、生きる希望が湧いてくるというものである。収録されている短編はやや時代物が多い気はするが、現代ユーモア小説からミステリー、伝奇、人情物と様々なタイプの作品が万遍なく散りばめられて読むのが楽しくて仕方がなかった。ページが少なくなるのが惜しいくらいであった。まるで本書の宣伝をしているようだが率直に俺は感動したのである。
 というわけで収録されている全50篇全てを紹介したいところだがそうもいかないので特に面白かったものをあげると、まず「オベタイ・ブルブル事件/徳川夢声」(昭和2年)・「ネクタイ綺談/横溝正史」(昭和2年)は昭和初期の洒落た都会的センスが感じられる良品である。「詩人/大佛次郎」(昭和8年)は当時の知識人の苦悩が肌で感じられる驚くべき作品。「M公爵と写真師/菊池寛」(昭和9年)・「芳兵衛/尾崎一雄」(昭和9年)・「エンコの六/サトウハチロー」(昭和13年)のいわゆる現代小説に漂うユーモアさとシニカルさは2008年の今でも十分読むに値する。「ヒルミ夫人の冷蔵鞄/海野十三」(昭和12年)は戦前の雰囲気を漂わせた傑作怪奇SFとでも言おうか。「御鷹/吉川英治」(昭和11年)・「大岡越前守/子母澤寛」(昭和14年)・「藪の蔭/山本周五郎」(昭和18年)は時代小説ならではの人の生き死にの壮絶さが見事。「蛍/織田作之助」(昭和19年)は高校の頃一度読んだことがあるが、淡々とした描写の中に後に無頼派として文学青年を熱狂させる暗い情熱がこめられている。「新月木々高太郎」(昭和21年)・「予言/久生十蘭」(昭和22年)は戦後のニヒルに憧れる若者好みの推理小説という感じである。「野球大会/獅子文六」(昭和23年)・「ホーデン侍従/尾崎士郎」(昭和24年)・「御苦労さん/源氏鶏太」(昭和26年)のユーモア小説は戦後間もない当時のとにかく解放的な空気が満喫できる。「晩菊/林芙美子」(昭和23年)・「罪な女/藤原審爾」(昭和27年)には今では想像もできない「女の悲しい一生」というものが流れる水のごとく自然に展開されていく。その描写力にただただ引き込まれるばかり。最後の「男眉/向田邦子」(昭和55年)では打って変わって高度経済成長以後の昭和後半を生きる女性の生活の断片を切り取って穏やかに語りかけてくるようである。
 と、思いつくままに書いてみたがとにかく「意味のない迷路と狂気にはまり込む純文学」や「遊んでいるとしか思えない深みのないエンタテイメント小説」や「阿呆としか思えないライトノベル」はもう飽きた、本当に面白い小説が読みたいという人は是非本書を読むべきでありましょう。