権力の病室 大平総理最期の14日間/国正武重[文藝春秋]

権力の病室―大平総理最期の14日間

権力の病室―大平総理最期の14日間

 本書は8月9日にBOOKOFF目白駅前店にて105円で買ったものである。言っておくが本書は2007年4月発行なのでありその時1750億円で発売されたにもかかわらず一年を経て105円で買うことになったのである。日本ってこんなに住みやすい国だったのですね。そして読んだのは東京から糞田舎へと帰る新幹線の中である。実は叔父が不帰の人となり急遽糞田舎へ帰ることになったのだ。
 土曜出勤で会社に出ていた俺の携帯電話に母から連絡があったのが午前11時であり、その知らせを聞いた俺は不謹慎にも「また新幹線でゆっくり本が読める」と思いながら午後2時には東京駅から新幹線に乗っていたのである。そして本書を持っていくことにした。題名からわかる通り本書もまた「死」についてのノンフィクションであるが、これはただの偶然である。平積みされた本の一番上にあったのがこの本であったまでだ。
 俺は涙もろいわけではないが、小説などで最後のクライマックスに「死」を出されると大抵泣いてしまう。まあ俺に限らず普通の人なら泣くのだろうが、「死」を持ってこられると(あるいは間一髪で生き延びると)今までの諍いや憎しみがうやむやになってとにかく情緒的に「ジャーンジャーンジャアーーーーーン!」と完結してその作品についての冷静で客観的な批評というものができなくなるというので一時期「死」が出てくる作品を毛嫌いしていたことがあった。それが実は「死」を直視できずやがて訪れる「死」から逃避していることに気付いたのは最近である。俺も25歳となり、俺の親や親の兄弟たちも迎えが来る年齢に達し、皮肉なことだがやっと逃避していた(実は恐れていた)「死」というものに向き合いつつある俺なのである。
 と、所詮は糞たれの阿呆たれの俺の人生はさておき本書である。四十日抗争とハプニング解散という権力抗争の醜態をさらけ出した時の日本政治のトップは鈍牛・大平正芳であった。政治を「明日枯れる花にも水をやる心」と言い、具体的には「達人の剣は『生卵を握るが如く』と言う。柔軟ではあるが、強靭にいきたい」と言う敬虔なクリスチャンを襲った未曾有の政治闘争と激務の首相職にその身体は破壊され、緊急入院となったのは1980年5月30日。その後6月12日午前5時54分に大平は死去した。まぎれもなく日本政治の一大事件であった。
 作者はその時首相官邸記者クラブの責任者であったという。もちろん現職首相の入院とあっては首相周辺はもとより首相の次を狙う「政界百鬼夜行の面々」やマスコミが実態を探ろうと押しかけるのだが、首相サイドは決して軽くない(むしろ非常に重い)症状を何とかして探られずに政権維持を図るため苦悶の日々を過ごすのである。衆参同時選挙とあって反大平派も表立った動きはなくその点は不幸中の幸いであったが、6月22・23日は先進国首脳会議(ベネチア・サミット)がある。言うまでもなく世界中の首脳が集まるこのイベントに病気のため出席できないのであればもはや首相としての資格はない。何としてもサミットに出られるよう回復に一縷の望みを賭ける首相サイド(伊藤官房長官、田中副幹事長、森田秘書官)であるが、医学的見地および医師としてそれに難色を示す医師団、一刻も早く回復を願う家族、自らの運命を知らずベットから動くことも医者に禁じられた大平首相…。真相を追うマスコミにひたすら実状を隠す首相サイドと医者として絶対安静を求める医師団はやがて「サミット出席」をめぐって壮絶な駆け引きが行われ、入院が一日一日と延びるにつれて政界では「ポスト大平」の動きが加速していく。公表しないはずの「記者とのオフレコ」まで本書で暴露され、日本の権力の中枢を襲った動乱の14日間が見事に凝縮されている作品である。とにかく凄い、としか言いようがない。こんな本があっていいのかと思ったぐらいだ。「死」はいつでも悲劇的で壮絶なものであるが、大平首相の死はそんな生易しいものではない。「死」すらも易々と超えてしまう「政治」の非情さと激しさが見事に表されているのである。本書こそ政治の教科書と言えよう。