自民党の断末魔

 映画でもテレビドラマでもいいが、人気のある俳優やアイドルを使ったとしよう。その映画またはドラマが人気のある俳優・アイドルが出ているというだけで興行収入や視聴率において成功するのかと言えばそうではない。やはり監督や脚本や演出があってこそ成功するのであって、今回の自民党総裁選にしても俺は自民党がどんなドラマを見せてくれるかに注目していたわけである。わざわざ「政策論争12日間」と大々的に銘打ったわけであるから小泉改革路線対反小泉路線をめぐり壮絶なバトルが展開されるだろう、と。だが告示から一日一日と経つにつれその実態に俺は驚愕した。まさか、いやそのまさかだが、このドラマは出演者を用意しただけの、脚本も演出もないものであったのだ。これはドラマではなく、茶番だ。
 まず五人も立候補者がいることで経済政策論争をする前にそれぞれの考えている経済政策を述べるだけでかなりの時間が経ってしまう。更に自然とそうなってしまうのかマスコミの誘導なのかわからぬが批判の矛先が候補者ではなく民主党に向けられ、あげくの果てには「五人も立候補した。これが開かれた国民政党だ」と仲良し倶楽部的な雰囲気が漂うことさえあった。そして決定的だったのが、麻生太郎の圧勝が揺るぎないものであったことだ。これのどこにワクワクドキドキのドラマがあるのか。脚本も演出もない。
 政権交代のない日本、特に中選挙区制下において自民党総裁選というのは「首相を選べる」唯一の選挙であった。だから国民は熱狂した。今は二大政党制のもとで総選挙で首相を選ぶことができる。総裁選を見る国民の眼は醒めていた。その上麻生圧勝の空気は福田辞任直後から常に報道され続けた。総裁選最中に世界中を駆け巡ったリーマン・ブラザーズの破綻は世界恐慌の再来を思わせる大変センセーショナルなもので、これもまた総裁選への興味を失わせた。
 かつての総裁選で国民を熱狂させたものと言えば1978年の福田・大平対決と2001年の小泉・橋本対決である。1978年の総裁選では現職の総理・総裁である福田が大平及びそのバックにいた田中角栄に敗れた。その23年後の2001年の総裁選では長く政界を牛耳っていた経世会勢力(田中角栄の後継者たち)が福田派の流れを汲む小泉に敗れた。このドラマは見事に国民を釘付けにした。もし今までの自民党であったら今度は当初圧勝と思われていた麻生がまさかのどんでん返しで小池百合子に敗れるという脚本を書いたはずである。「初の女性首相誕生」にマスコミは恥も外聞も忘れ自民党の広報機関に成り下がったであろう。だがそうはならなかった。俺はそこに自民党の断末魔とでも言うべき末期症状を見た。
 麻生は反小泉勢力が擁立し、小池は親小泉勢力が擁立した。本来ならばこの二人で十分であるのにここに与謝野馨が出てきた。与謝野を応援したのは参院津島派であることから見て、与謝野は反小泉派の反麻生勢力と見ることができる。麻生に対し、反小泉という点では同じだが我々はあなたに全面的に従うわけではありませんよというメッセージを送ったのである。だがそこに石破茂というホモかオカマかというわけのわからん奴が出てきた。石破は津島派であり、恐らく参院津島派青木幹雄勢力への反発から津島派若手が擁立したものであろう。ここにまた津島派の機能不全を見ることができる。そこに石原伸晃が出てきた。正直なところこれは俺にもよくわからない。石原は小泉政権・安部政権において重用されたことから親小泉色が強く、小池の二番煎じでしかないはずだ。考えられるのは反小泉勢力の親小泉勢力分断工作である。これなら辻褄が合う。石原は山崎派であり、老練な山崎拓が石原にその役回りを吹き込んだ可能性は十分にあるが、これは少し強引な考えかもしれぬ。いずれにせよ、反小泉勢力の圧勝という最も味気ないドラマで総裁選は幕を閉じたのである。
 人事は首相の権力の源泉である。大臣という強力な権限を持つポストを自らの胸三寸で自在に操ることができることが権力者の権力者たるゆえんなのである。そしてこの人事によって時の内閣はその特色を発揮することができる。二ヶ月で倒れた福田改造内閣にもその特色はあった。翻って麻生内閣はどうかというと特色は感じられない。中川財務相文教族仲間がいるだけで何の特色も感じられないどころか、これでは「安部お友達内閣」の再来である。小池や中川秀直を取り込まず、最大派閥町村派の意向でもあった町村幹事長は実現せず格下の細田が幹事長となった。町村は内心忸怩たる思いに違いない。また伊吹も財務相の地位を自分の子分である中川に取り上げられた。この人事を見せられ俺は混乱した。一体どうなっているのか。これでは党としてまとまるものもまとまらないではないか。
 とどめは所信表明演説である。ここで麻生は民主党を挑発することだけに力を入れた。「政局第一だ」「国民のことを考えていない」。言うまでもないことだが今やこの国には二つの権力が並存している。衆議院の多数派と参議院の多数派である。挑発すれば参議院民主党が「私が悪かった。どうぞあなたの言うことを聞きますから許して下さい」と言うわけがない。民主党は怒り、当然国会運営は滞る。それでも麻生は構わない。なぜなら審議などせず解散するからである。しかし麻生は民主党に火をつけてしまった。もし自公両党が過半数を死守したとしても参議院の権力は揺るがない。その時、民主党は「私が悪かった。どうぞあなたの言うことを聞きますから許して下さい」とでも言うと思っているのだろうか。いくらお喋りが上手でもこれではますます政治が混乱するだけである。麻生は幹事長として総裁・福田の盾とならず公明党の味方をしたことで福田辞任の直接のきっかけを作ったことからわかる通り、政権運営のセンスはほとんどゼロである。だがもはや自民党に奥の手はない。「奥の手」は「自民党をぶっ壊す」と言った小泉だった。そして自民党はぶっ壊された。奥の手を使ったあとに奥の手はない。その小泉も後継者たる小池の惨敗、特に党員票0票の結果を見て即刻引退を決意した。3年前の絶頂が嘘のようにかつての小泉の権威は地に堕ちた。自民党の断末魔が聞こえる。そして日本政治史上特筆すべき選挙戦はすぐそこに来ている。