福田を倒したのは誰か

 風呂に入って「ガキの使いやあらへんで」を見た後、最近の政局状況について書いてこのブログに載せたのは日が変わった9月1日の深夜0時半頃であった。その後Youtubeから違法に入手した「まぶらほ」のアニメを見ながら寝たのは1時過ぎであり、朝起きて会社に行って退屈且つしんどい仕事を適当にいい加減にこなして突如始まった会議を右から左に流しながらもうそろそろ帰ろうかとYahooニュースを見たのは21時過ぎである。「福田首相、辞任の意向」…。
 誰もがそう思ったのように俺も「またか」と思い、まるで一年前に戻ったような不思議なそれでいて空しい心境になっていた。大体俺にとって政治とは「パワフルでエネルギッシュな妖怪たちの権力闘争・派閥抗争」なのであって、疲れ果てたおっさんが無気力に淡々と「俺、無理。他の人にやってもらった方がいいんじゃない」などと言うところを阿呆面下げて見るなど願い下げである。安部の時ならば「こんな辞め方は前代未聞だぜええええええ」と盛り上がったが、今回は全く盛り上がらない。
 とは言え政局忍者を辞任、じゃない自任する俺が福田退陣を予想できなかったのはお恥ずかしい限りである。まだまだ自分の至らなさ未熟さを痛感しておるところでございますが、とりあえずこの福田辞任劇を解剖することにしよう。あ、いかんやっぱり楽しくなってきた。やっぱり俺は政治が好きなのよなあ。
 「福田は最初から辞める気だった」というのはその通りであるが、では就任当初からこの9月に辞める気だったのかと言えばそうではないはずである。「歴代総理の中でも特にプライドの高い福田」だからこそ、改造内閣発足から1ヶ月で辞めるのならば「無責任」の批判は免れず、福田のプライドはそれを許すはずはないのである。負けることがほぼ確実な総選挙で敗者の烙印を押されることなく、かと言って「何もしなかった総理」と後世の批判にさらされないために福田が最も理想的に描いていたのは、拉致問題や経済対策や消費者庁の設置に一定のメドをつけ、衆議院任期満了前に引退し、後任の総裁選を華々しく行って新総裁・新首相の下での任期満了選挙を行うことであったに違いない。だが福田は辞めたのである。蛇蝎の如く忌み嫌っていた安部前首相よりも短い総理在任日数になってもいいと思うほどに福田を追い詰めたのは誰か。
 改造内閣発足時に福田は辞める気などなかった。何度も言うように改造内閣発足後すぐに辞めてはマスコミからの大非難が待っているのであり、その時辞める気ならば改造などせず辞めるのが「プライドの高い福田」の福田たるゆえんである。つまり改造内閣発足後何らかの「困難な事態」に陥ったから辞めざるを得なかったのであり、そこに見えるのはやはり公明党の動向なのである。
 臨時国会の日程は公明党によって8月下旬から9月中旬へのずれ込みを強いられ、再議決には反対すると言われ、果ては総合経済対策において「定額減税」云々で煮え湯を飲まされた。また本来その公明党を制止する(と福田が期待していた)麻生自民党幹事長はむしろ公明党側に回り、ただでさえ「上げ潮派」と「財政再建派」の対立で頭を悩ましている福田はついに「もう我慢できない。お前らが勝手にやれ」として辞めたのである。
 福田を倒したのは公明党とその公明党側についた麻生幹事長である。本人たちにその気があったかなかったかはここでは問題ではない。結果的にそうなったのは明白である。もはや近い将来自民党公明党に取り返しのつかない衝突が起こることは必須である。だが自民党はもう公明党創価学会なしでは政権を維持できないほど弱体化している。そして参議院民主党が生殺与奪権を握っており、頼みの綱の切り崩し工作も「離党予備軍がやっぱり離党した」というインパクトの小さいものであり、それも三人のうち一人が脱落するという拍子抜けするものであった。昨日今日、TVに映し出された自民党議員たちのあの悲壮感漂う暗い顔は、この先麻生や小池が新総裁に選ばれたとしてもどうなるものでもないという深い絶望の色で覆われていた。自民党の断末魔が聞こえ、政局はまた、激しく動き出した。