- 作者: 田中正明
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2001/10/01
- メディア: 文庫
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さて3月15日に神保町古書モールにて購入した本書は恐怖と野望の福岡出張からの帰りの博多駅の新幹線に乗って読まれた。ついに会社の根幹に関わる仕事を任されたという恐怖と、これからの業務が自分の腕次第でどうにでもなるというわずかな野望感の中で、ああこれが日本経済のダイナミズムというものかと呆然としながら俺は本書を読破したのである。それにしてもあれですね、博多から姫路だと2時間半ぐらいで着くのでだいぶ早いですね。東京からだと3時間ちょっとかかるのですが。
さて戦後政治史の中でもひときわ異彩を放つのが「東京裁判」である。とにかく俺は東京裁判と聞いただけでゾクゾクしてしまうのであるが、それはこの政治的大イベントこそ今も続く日本政治・日本社会の明と暗のスタートとなったからである。戦前日本からの流れを絶対的に拒絶する立場を不動のものとし、ゼロからのスタートとしての戦後日本の基礎はこの裁判の終了をもってはじまったのであって、この検証だけで俺の糞みたいな人生などいとも簡単に棒に振ることができよう。そして本書は、無数のドラマを生んだ東京裁判の中でも特に有名な「パール判決文」を詳細に解説したものである。
パール判決文の偉大な点は二つある。一つは「国際的には無政府状態(いつでも戦争ができる)」である世界の中で昭和日本が置かれた外交・軍事的立場をほぼ完璧に立証していることであって、各列強が植民地支配を進める中で日本が自国の平和と尊厳を守るために何をしなければならなかったかが理路整然と整理され、それらは「アメリカやイギリスであっても同じことをしていた」と断言するところである。そしてもう一つは、この裁判は国際法に定められたわけではない、単に戦勝国による戦敗国への復讐イベントという「文明に逆行するもの」と断罪するところである。
検察団(戦勝国)は、この裁判の原告は「文明」であると宣言した。しかし文明には欠かせない法(国際法)には東京裁判の根拠となる定めなどなく、では何にその根拠を求めたかといえば連合国軍最高司令官であるマッカーサーが作った「極東国際軍事裁判所条例」によってその運営が決定されたのである。もちろんこれは戦勝国が法や慣習に関係なく作ったものであり、マッカーサーが裁判官を任命し、その裁判官の地位や権限はこの裁判所条例にのみその効力を有するのであって、だから裁判官はただ条例に従って行動すればいいというのだから、はっきり言って滅茶苦茶のハチャメチャである。しかし俺はこんなわけのわからんものが堂々と通用し大部分の人々がその異常さに気づかなかったこと自体が第二次世界大戦の壮絶さを物語っているのではないかとも思うのである。
よく言われているように、戦争における「殺人の罪」を適用するのならば、広島と長崎に原子爆弾を投下した者の責任を問わなければならない。ナチスによるユダヤ人集団虐殺は非戦闘員が大部分という国家的な殺戮であり、南京大虐殺もその大部分が非戦闘員という悲惨なものであった。それならば原子爆弾の投下による一般市民への殺戮もまた同じものであるとパール判事ははっきりと断言する。「いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投下すべき何の理由があったであろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができていた。ヒロシマに原子爆弾が投下される二ヶ月前から、ソビエトを通じて降伏の交渉を進める用意をしていたのである。(中略)しかしながら、彼らの原爆投下の説明、あるいは口実は何であるか。『もしもこれを投下しなかったならば、幾千人かの白人の兵隊が犠牲にならなければならなかっただろう』。これがその説明である。我々はこの説明を聞いて満足することができるであろうか。いったい、幾千人の軍人の生命を救う代償として、罪のない老人や子供や夫人を、あるいは一般の平和的生活を営む市民を、幾万人幾十万人も殺していいというのだろうか。その家や財産とともに、市街の全部を灰にしてもいいというのだろうか」
また作者は、戦後の日本人がこのような偽善に満ちた裁判及び裁判をリードしたアメリカを全肯定し、責任を全て東京裁判の被告に押し付け、且つ昨日までの同胞に石を投げる行為をしたことに深い憤りと悲しみを表明している。「鬼畜米英などといって夜郎自大的になっていた態度もさることながら、ひとたび占領軍が進駐してくるや、占領軍に平身低頭したばかりか、唯々諾々として占領軍に忠誠を誓い、日本の弱体化政策、愚民化政策に奉仕し、自らの手をもって、これを短時日の間に成就した、その情けない態度、そのさもしい根性」…。しかし俺は思うのであるが、当時の日本人は絶望的な困窮の生活のなかで、このような暮らしをしなければならなくなったその責任を戦犯の人々になすりつけることで何とか理性を保てたのではなかろうか。「一億総懺悔」などと言って国民全てがあの戦争の責任を感じていたのならば復興など到底不可能だったはずである。当時の日本人はとにかく何かすがるものが欲しかったのでありそれがアメリカ文化であったのではないか。それが日本の伝統の長所を失うものであっても、明日を生きるためにはそうせざるを得なかったのではないかと考えるのである。
「東京裁判」は本当に色んなことを教えてくれる。まだまだ「東京裁判」関連の本を読んでいこう。きっと一生かかっても読みきれないぐらいあるだろうからな。