小説吉田学校 第五部 保守本流/戸川猪佐武[学陽書房:人物文庫]

小説吉田学校 (第5部) (人物文庫)

小説吉田学校 (第5部) (人物文庫)

2001年5月15日:小説吉田学校 第七部 四十日戦争
2001年5月27日:小説吉田学校 第八部 保守回生
2001年8月11日:小説永田町の争闘 第一部
2001年9月16日:小説永田町の争闘 第二部
2002年12月8日:小説吉田学校 第六部 田中軍団
2003年3月30日:小説吉田学校 第一部 保守再生
2003年6月15日:小説吉田学校 第三部 角福火山
2003年10月5日:小説吉田学校 第二部 党人山脈
2004年9月9日:小説永田町の争闘 第三部
 というわけで並べてみたのは今回取り上げる「小説吉田学校」シリーズの購入の歴史の歩みの伝説である。現代日本政治史が知りたいならば1983年までは戸川猪佐武の「小説吉田学校」シリーズを読み、1983年以降は鈴木棟一の「永田町の暗闘」シリーズを読めばよろしい。他にもさいとうたかをが「小説吉田学校」を漫画化した「太宰相」シリーズがある。まあとにかく権力闘争というのは面白いですな。非常に平和的ながら血が滾る現代の戦争であります。
 で、まず言いたいのは本書は3月15日に神保町のいつものところである小宮山書店ガレッジにて100円で買ったということであって、これはすごいことなのです。なぜかというと上に並べられた各巻は全て兵庫県糞田舎の大型古本屋及び三宮の超書店MANYOで105円とか53円とかで買った角川文庫版なのであって、学陽書房版ではないのである。それもそのはずこの学陽書房版「小説吉田学校」というのは2001年頃に発行されたものであるから古本屋で買おうにも買えるわけがなく(まだ古本屋に売られていない)、もちろん当時お気楽極楽エロガッパ大学生であった俺は金はないが時間はあったので三宮のジュンク堂書店を意味もなくたむろしてこの学陽書房版の存在を知っていたのだがその当時俺は105円で売られていた角川文庫版を買っていたのである。俺が何を言いたいのかわかりますか。もはや学陽書房版も古本屋で買えるほどの年数が経ったということですよ。かつて学陽書房版を横目に古本屋で角川文庫版を買っていた俺が、今その学陽書房版を古本屋で買うということはそれだけの年月が過ぎたということなのであって、おお、もはや過去は過ぎた、俺はあの時から七年後の俺なのだ。
 いまいちこの感動というか衝撃が伝わらないのがもどかしいが、まあ俺には俺の生活というか人生があるので良しとしてさて本書である。舞台は1976年夏の田中角栄逮捕及び三木おろしから始まり年末の総選挙敗北による福田新総裁で終わる。自民党戦国史の中でも一際異色と言われるこの三木おろしであるが、それは結局時の総理・総裁たる三木武夫そのものが自民党の中にあって異色だからである。まず第一に三木は「吉田学校」の生徒ではない。戦後間もなく国民協同党を率いて片山哲芦田均内閣で連立政権を組み吉田自由党とは敵対関係にあったわけであり、保守合同により自民党に加わった後は吉田の薫陶を受けた池田・佐藤及び田中・福田・大平という自民党の主流派閥によって常に押さえ込まれ、反主流にして少数派閥の悲哀を味わってきた「保守傍流」である。官僚との人脈なく、金や数の力もなく、その中で中選挙区制による派閥連合政権の中を渡り歩くため三木が取った戦法は「クリーンさ」によって世論にアピールすることであった。田中角栄の秘書・早坂茂三はこのように言っている。
 <少数派勢力を率いた三木は、自民党の激しい権力闘争の渦中にあって、派閥同士のトラブルの隙間に食い込み、キャスティングボートを握ろうとした。三木派を頼りにしなければ、権力が運営できない状況を活用し、自分を国家権力の一部に滑り込ませるか、自派の子分に大臣の椅子を土産として持ち帰った。その力量は並大抵のものではない。
 田中は、かつて三木を評して私に言った。
「政治家として生きる知恵について言えば、このオレと本当に相撲を取れるのは、三木しかいない」
 角栄は、三木を嫌ってはいたが、その腕前のほどは正当に評価していたのである。
 派閥間の抗争で劣勢の三木には、絶えざる緊張と、事実関係の正確な認識、変化に即応できる行動が常に求められていた。マスコミの応援が必要だ。三木は大敵に立ち向かう応援団として、マスコミの必要性を熟知していた。耳に入りやすい建前論と正義を繰り返し説く三木の周りには、判官びいきも手伝って、反権力志向の強い新聞記者が集まった。彼らを三木は大切に扱い、巧みに取り込んだ。「権力の司祭たち/早坂茂三」>
 金脈政変という「青天の霹靂」によって総理・総裁となった三木は同じく「保守傍流」である中曽根派と共同戦線を張って田中派・福田派・大平派という保守本流を前に苦戦するわけであるが、田中角栄逮捕とその真相解明を最優先するクリーン三木の姿勢に大福角連合はついに宣戦布告を行う。このあたりが平成の政治に慣れきっている諸君には理解できないかもしれぬが、当時は世論よりも「党内世論」が優先されることが多々あったのである。なぜかというとそれが中選挙区制の本質と関わってくるので割愛するが、とりあえず三木は数の上では圧倒的優位を誇る反主流派を前に戦いを余儀なくされるわけである。しかし田中角栄ロッキード事件によって謹慎し、対決の構図は「三木VS福田・大平」となれば大勢は明らかである。戦後の混乱期に40歳台前半でありながら連立政権の一角を担い、池田・佐藤・田中の保守本流政権に押し潰されそうになりながらその存在感を維持してきた三木は粘りに粘り拒絶と妥協を正確に判断しながらついに三木おろしを封印することに成功するのである。
 三木武夫という政治家は非常に異色の存在であるが、もっと異色なのはそのような人物すら取り込んでしまう自民党という存在である。よく言われるように、「金権田中からクリーン三木」へ変わったことによるインパクトは最近で言う森政権から小泉政権の比ではない。「自民党」という組織自体はずっと政権の根っこのところに深々と腰を下ろしていながら、その組織の中では色々とゴタゴタが起こり結果的に活気と新鮮さが生まれていったのである。一体それはなぜなのか。いまだにどの政治学者も明確に結論を出していないこのあたりをまだまだ深く掘り下げて考えていこう。とにかく政治というのは面白いもんですなあ。