その腕のなかで/カミーユ・ロランス[新潮社:新潮クレスト・ブックス]

その腕のなかで (新潮クレスト・ブックス)

その腕のなかで (新潮クレスト・ブックス)

 普段「俺はラブコメ絶対主義」「おまけに享楽主義」「世界の王は俺」「お前らは実は俺の脳内で生きておるんじゃ」「一生戦闘モード」などと口汚く罵っておきながら一方で偏見にとらわれず時には好みに反してもいいから色んな本を読もういや読まなあかんよなどと気弱に呟く俺がいるわけである。一体どうしたら唯我独尊自己中心的エゴイストになれるのだろうか。自分の信じる道を突き進めというがしかし突き進んだ結果えらい目に遭ったらどうするのだなに自己責任だとああいやじゃいやじゃやっぱり時流に流れ流れて波風立たせずやっていきましょう。そうしましょう。
 で、好みに反するというかまず俺が読みそうにないこの本書について何らかの感想を述べなければならんのであるがさて困った。いやまあ内容が難しいとかじゃないんだがとにかく非常に困るのであって、ある女流作家の男遍歴というか女にとっての男が精神的肉体的に(特に対SEXの関係について)どういう風に形づくられていくかということが赤裸々というより生々しく描かれているのである。一口にSEXといっても女の側から見た性というのは俺が慣れ親しんでいるぬるいゆるい都合のいい女とは全く別次元にあるわけであり、そういう「男にとって都合のよくない」女から見た性についてイメージすることはどこか気持ち悪いとさえ感じてしまう俺がいる。
 精神分析医の夫婦関係セラピーの一環として女主人公は今までに出会った男たちについて語ろうとする。語られ進んでいく断章はどこまでが本当でどこまでが想像なのかを曖昧にしており、それによって本書のテーマである「女にとっての性と男」を読者に一層生々しく感じさせることに成功していると言えよう。そして彼女にとって「男たち」が常にその人生の主流であり続けていたしそうすることで女であること又は女として生きることを学んできたわけであり、結局のところ女とはそういう生き物であるという考えが自嘲や憎しみを伴わず自然と本書の主人公に染み付いているところなど何というかまあ刺激的と言うしかあるまいな。
 「私は相手とひとつになりたいの。完全に。すっかり、ひとつになりたいんです」「私にとって最悪の男、卑劣な男というのは、女たちの欲望を蔑む男ね」「夫を『私の子供たちの父親』という、もうすたれてしまった古い表現を、彼女は馬鹿げているとは思わない。自分たちの関係をこの上なく正確に示すいい表現だと思うし、もう夫を愛してはいないのに、まだ愛しているような感じもしてくる」「男を産むことって、女たちの勝利じゃありません?自分のお腹のなかにオスを宿すって、女たちの挑戦かしら、それとも錯乱かしら?」…。
 本書の主人公はフランス女であり、日本糞スイーツ女とは当然違うのだろうが、本書には「女にとっての性と男」についての本質的な部分をズバリと暴いたような形容し難い荒々しさがあって読むのにかなり時間がかかった。いわゆる「(男がイメージするところの)エロさ」というものを取っ払った性やSEXの姿を見せられることは彼女いない歴25年の俺にとってはやはり苦痛でしかないのよな。そんなわけで次回までごきげんようさようなら。