ふたりエッチ(35)/克・亜樹[白泉社:JETS COMICS]

ふたりエッチ 35 (ジェッツコミックス)

ふたりエッチ 35 (ジェッツコミックス)

 華麗に復活?鮮やかに復活?待望の復活?死んだほうが世のため人のためそして自分のためとまで言われるこの俺がまたしても性懲りもなく厚顔無恥に浅はかに電子空間に戻ってくればあなたもお前も阿鼻叫喚、やがて乱れる核の花。生きて糞の汚名を再び背負う日々がやってきました。さあ行けそれ行け飛んで行け。
 で、結局何が言いたいのかと言うと今から遥か昔、あの空の上のもっと上の高きところである1998年4月26日に本作3巻を買ってから10年の月日が流れてもなお俺は生きているということであります。おお何という奇跡。1998年4月26日の俺にこう言ってやりたい、「今から10年後の2008年3月1日にお前は生きていて、東京世田谷区にあるBOOKOFF北烏山店でやっぱり本作の35巻を買うのだ」と。ちなみにBOOKOFF北烏山店は京王井の頭線久我山駅から歩いて20分以上はかかり見つけるのにだいぶ苦労したのでそれも言っておこう。
 本作は言うまでもないことだが日本ラブコメ大賞1998年度第一位にして日本ラブコメ界の長老にして最強無比完璧絶対のお化け作品である。ただひたすら新婚夫婦が愛情をもってヤるだけでありながらその愛の交歓ぶりを常に新鮮さを失わず10年(作中では結婚して3年しか経っていないが)も描き続けてきたというのは全く敬服に値しよう。作者のラブコメ精神は今や俺と互角に渡り合えるほどである。
 というわけでここにグダグダと本書について感想を述べることはしないが(別に読みたくもないという声が聞こえる)、特筆すべきはやはり今回夫が危うく浮気しそうになったことであろう。もちろん俺含め本書の読者はいつも寸前で夫の脳裏に妻の顔が浮かんで寸止めで済むということがわかっているので安心して、というよりはちょっとしたハーレム気分で読むわけでありそのあたりは作者もわかっているわけである。そしてセオリー通り寸止めで終わって夫は妻とすぐにヤッて愛を再確認し妻は内心怪しいと思いながらもやはり夫への愛を再確認するというわけであり、読者は適度に刺激を楽しみながらも夫婦(平凡などこにでもいる夫と美人な妻)が仲睦まじく夜の会話を謳歌する様子を見てああ平和だねえ癒されるねえと10年の歳月を過ごしてきたのである。
 世に糞のように溢れるラブコメ作品のなかにあって、本作のように夫婦が夜の生活をそれなりに謳歌するようなストーリーが皆無なのはどういうことであろうか。たまに夫婦が主人公の作品があったとしてもそれは昼の生活中心のエッセイ的なものがほとんどである。未婚の男女が好いた惚れた擦れ違った振られたと右往左往悪戦苦闘八紘一宇するよりは、既に社会的に認められいくら変態的な空中アクロバット的な人外のプレイに勤しんでも全く問題のない夫婦ものの方が安心安全というものであろう。もちろんラブコメである以上は「平均以下の夫と美人で性格も良くて夫にベタ惚れな妻」という図式が必要となるが、現実の夫婦だって多かれ少なかれそんなものだろう。違うのかね。
 まあ俺のラブコメ好色ポイントというのは一般人どころかオタク人種ともズレているところがあるから、俺が求めるということはつまり少数派であり需要がないということなのだろうなあ。それとも何か、現実の普通の夫婦は本作のように結婚して3年経てば朝も昼も夜もヤりにヤり愛を囁くなどということはないので本作を読んでると阿呆くさくなるとかいうのか。しかしそんな事を言い出したら「空から美女が降ってくる」方がよっぽど阿呆くさいではないか。よくわからん。他に夫婦ものでラブコメと言えば赤川次郎の「夫は泥棒、妻は刑事」シリーズぐらいであるが、いやあれはラブコメとはまた違うな。うーん。
 ところで話題は変わって俺は25歳であり、本作の主人公夫婦が結婚したのも25歳である。俺の人生の中心の底の芯の部分にびっしりと生えた本作の影響によって俺は「25歳イコール結婚してもいい歳、或いはしなければならない歳」という固定観念に拘束されており、どうしましょう。確かに俺もこの歳でいまだ童貞(風俗の経験はあり)であるからな。やはり行かねばならんか包茎手術上野クリニック。