ドキュメント昭和1 ベルサイユの日章旗[角川書店]

ドキュメント昭和―世界への登場 (1)

ドキュメント昭和―世界への登場 (1)

 うわはははははははははははははは。人生の泥沼、社会の水溜り、世間と嘲笑の大洪水に呑まれ今日も愛を叫ぶ吟遊詩人こと俺はやっぱり希望を吐き出して歴史上最も醜悪な読書感想文地獄編にその命と性器を捧げるのであります。非難されるべきは俺ではなく俺の背後にある惨劇のはずだ。
 というわけで本書は2007年12月1日に神保町の三省堂書店の横のビルにある古書モールで100円で買ったものである。100円・昭和61年発行とは言うものの新品同様のきれいさであって、こういうのが神保町にたくさんあれば俺も神保町禁止令など出さずにすむのだがなあ。
 どうやら本書は昭和61年にNHKで放送されたドキュメンタリー番組の書籍版のようである。テーマはずばり「昭和」であり、その1巻では昭和日本のはじまりとして「ベルサイユ条約」を取り上げている。これは非常に斬新であって、普通「昭和」のはじまりというと大正天皇崩御とか台湾銀行問題とか芥川龍之介の自殺などが語られるわけであるが本書ではベルサイユ条約における日本外交の失敗こそ「昭和日本」の胎動であるというのである(事実、パリ会議における日本代表団には松岡洋右近衛文麿吉田茂等の姿があった)。
 で、ベルサイユ条約というのが第一次世界大戦後の戦後秩序を決めたものであることは知っているが、実は俺は第一次世界大戦に関してはよくわかっていないのである。これは俺というより日本人皆がわかってないのであって、第二次大戦についてはほとんど義務的に我々は聞きまた知ろうとしているが第一次大戦についてはとんと関心がないしその事について疑問に思うことすらないのではないか。それは戦場がヨーロッパに限られいわゆる「大戦」の実感に欠けるからであろうが、俺は本書を読み「20世紀は1914年にはじまる」という言葉の意味を痛感したものである。
 大戦後の戦後秩序を決めるパリ講和会議は米英仏伊に日本を加えた五大国による運営となるはずであった。明治維新から50年あまりで世界の大国となった当時の日本の喜びは容易に想像できよう。しかし実際のパリでは日本が予想したような「ウィーン会議の如き連夜の大夜会」は一度も行われず、国際連盟の設立や戦後世界の新秩序をめぐる各国間の主導権争いなど、首相・大統領クラスによる外交の最前線の場となっていたのである。そもそも日本を除く四大国の出席者はウィルソン米大統領ロイド・ジョージ英首相、クレマンソー仏首相、オルランド伊首相というごっついものであるのに日本は元外相で国内の政治的権力もほとんど持ち合わせていない牧野伸顕というのでは(牧野は次席全権、全権首席は元老・西園寺公望だが西園寺がパリにやってきたのは講和会議開会から遅れること何と45日後)各国はどう思ったであろうか。まさに大国となって浮かれ会議の内容などどうでもいい「おのぼりさん」状態とでも思われたのではないか。更に山東半島問題等自らの利害に関係すること以外は「大勢に従うべし」とほとんど積極的に発言しない日本は「サイレント・パートナー」と皮肉をこめて呼ばれるようになるのである。実は日本はこのパリ会議においてヨーロッパ中の外交官を呼び寄せて対応したがそれでも足りず、ヨーロッパに出張中の民間人を臨時に雇ったりして何とかその場をしのぐというお寒い実態であったのだから無理もない。世界の大国としてのリーダーシップ、言い換えれば世界秩序に対する義務というものに対して日本は無頓着であっただけではなく実際に対応できる体制もなかったわけで、このあたりは今も生きる教訓と思うのは俺だけではないだろう。