改訂新版 共同幻想論/吉本隆明[角川書店:角川文庫]

 何だお前は最近ずっと週1の更新でしかもお前のわけのわからん小学生並の読書感想文ばかり書いとるではないかそれで何が日記かブログかと天下の非難にさらされているわけだがこれはもうどうしようもないのです。年明けからずっと仕事における作業量や人間関係や意味不明の重圧が俺を襲ってきて家に帰るともうヘトヘトで自慰する気力もないのである。まあ寝る時間を1時間短縮して書けばいいだけの話だがそれだと次の日眠くなり眠くなると仕事に悪影響が出るので結局時間がないのである。というか皆さんよく毎日毎日更新されますなあ。暇なのか。趣味がないのか。それとも俺が寝過ぎなだけか。大体家に帰ってくるのが早くて21時、遅くて23時であり最近は22時である。そこで飯を食べ風呂に入れば23時、そこでラブコメ政治耳鳴全日記するかラブコメその他の本を読むかだが優先順位はもちろん後者であり疲れた心と身体を癒さなければならんのだ。そして日が替わって0時になると眠くならない時もあるがとにかく明日の抗争に備えてとにもかくにも寝るべし、というわけで平日が過ぎゆくわけである。今の仕事が合ってないのかいやそもそも俺は働くことが嫌なのであり生き続ける限り働かなければならないのでとにかくまた仕事面というか体力面というかまあ精神面でしょうなあその精神面が回復して暴れるようになるまで週1でお付き合い下さい。
 そのようにしてさて困った。2007年8月4日に神保町の小宮山書店ガレッジにて100円で買った本書を読んだのであるがいかんせんほとんどわからんかったのである。いやわからんというか全く理解不能なのであって、本当にこれが全共闘世代を熱狂させたのだろうか。うーん。本書の名前だけはそれこそ俺が文学の門を跨いだ高校生頃から知ってはいたが、いやこれは困りましたな。
 まあ本書の解題的な部分を読んで何とかわかったというところもあるが、えーと、我々が国家とか社会として意識しているものはこれは実態のないただの「共同幻想」であると。なるほどなるほど。しかしそこから何故「遠野物語」や「古事記」の紹介がはじまるのかが俺にはわからんのである。「神話」から見える国家の起源というやつを探ることによって国家がいかに共同幻想的に確立されていったのかを、えーと、つまりまたわからなくなってきました。とりあえず気になった部分だけを書き出して今日は終わることにします。いつかリベンジしたるからな。
「巫女は<性>的な対象を共同幻想にえらぶものをさしている」
「<死>では人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想から<侵蝕>される」
「埋め墓は空間的な<他界>の表象であり、詣で墓は時間的な<他界>の表象」
「<神>とじぶんを異性<神>に擬定した天皇との<性>行為によって、対幻想を<最高>の共同幻想と同致させ、天皇がじぶん自身の人身に、世襲的な規範力を導入しようとする模擬行為を意味すると考えられる」
「<母系>制の社会とは家族の<対なる幻想>が部落の共同幻想と同致している社会を意味するというのが唯一の確定的な定義であるように思える」
「<原罪>が、農耕土民の集落的な社会の<共同幻想>と、大和朝廷勢力に統一されたのちの部族的な社会の<共同幻想>のあいだにうまれた矛盾やあつれきに発祥したのは確からしく思われる」
「前代的な遺制になった兄弟と姉妹とが政権と宗権を分掌する神話的な<共同幻想>の構成に殉じたところに<倫理>がうまれる」
 やっぱり何のこっちゃわからんな。というわけでまた来週。