初めの愛/坂上弘[講談社:講談社文庫]

 本書は2007年9月15日に神保町の小宮山書店ガレッジにて購入したものであり読んだのは黄金の聖地・兵庫県糞田舎から地獄の戦場である東京へと帰ろうとした1月5日夜の新幹線の中である。はて俺は上京してもう3年になるのにまだ田舎を美化するが大丈夫なのだろうか。いざ田舎に帰ってやっぱり東京が良かったなどとほざいたらどうするのだ。発言には注意しろ。しかし自分のブログでまで発言に注意し自己を抑制し頭を下げ続けるのは嫌なので結局俺は何が言いたいのかね。お前が考えろ。
 著者は一時期俺が好んで読んでいた「内向の世代」の一人である。いや文学史的に正式にメンバーに入っているのかはわからぬが俺はそう認識しているのであって、「内向の世代」の諸作品に見られる「現代の日本の生活と経済に翻弄される庶民」というこれまた俺が勝手に定義付けている図式は本書でも展開されているのである。つまり「会社」であったり「家庭」であったりもっと大きな「社会」「経済」といった今の自分が生きる上で考えざるを得ない環境を真剣に考え悩む現代の人間の姿を描いたのが「内向の世代」による作品なのであり俺が好むものなのである。
 35歳の平凡なサラリーマンは日々を誠実に生きていこうとするが、妻子を捨て愛人と生活するようになる。ただし妻子のことはきっちりとけじめをつけたいし離婚するにしろしないにしろ一生妻子の面倒を見なくてはならないと考える。そもそも今の妻とは結婚当初から何かしらの食い違いがあったのでありそこにもう一人の魅力的な女が出てきたからそちらに乗り換えただけなのだ。いや、本当にそうなのか。表題にある「初めの愛」が、妻とは最初からなかったのではないか。他人同士が夫と妻になる過程で確認し理解し合わなければならない事を怠っていたのか等、本書では主人公の苦悩を通じて戦前の家制度が崩壊した後の戦後の家族というものが持つ危機感が切実に表現されており非常に面白い。もちろん本書で語られる家族というものの姿は発表時の昭和55年の姿であり28年が過ぎた今とは違うのであろうが、結局夫と妻と家族をつなぎ止めているものは曖昧なはっきりしないものでしかないことは今でも言えよう。そして主人公はそこに「愛」を求めたが「愛」はなかったのだろうかと自問するだけである。
 他にも主人公の取引先の顔見知りの男が蒸発をしていらぬ厄介事を抱えこみ、働くことの皮肉と悲哀と苦悩を主人公が延々と考えるなど、とにかく本書では現代に翻弄されるどこにでもいる一般庶民を徹底的に解剖させているのが特徴である。劇的なストーリー展開があるわけではないが、我々だって大した事件もないくせにやたらと考えたり悩んだりするのでありそういう我々のもどかしい思いを代弁してくれる「内向の世代」をもっと評価すべきではないのかな。