半七捕物帳/岡本綺堂[講談社:大衆文学館]

 とうわけでお正月と言えば時代劇である。もちろん俺はあのような時代考証めちゃくちゃな現代風厚化粧猿芝居などに興味はない。大体あの女優というのはなぜのべつまくなし化粧をしておるのだ。家でゆったりくつろいだりベッドにもぐりこんでいるというのに唇が毒々しいほどに真っ赤ではいかにも「これはドラマで女優さんをきれいに見せなくてはならないので化粧を施しているのですよ」と叫んでいるようなものではないか。しらけることこの上なく、やはり俺には二次元が性に合っておるのだ。
 などとどうでもいいことを言いまして本書である。ストーリーの骨格としては江戸時代を舞台に岡っ引きがその勘と人情で事件を解決するというものであるが、それよりも江戸に生きる市井の人々の普通の暮らしぶりというやつが自然に感じ取れることができるのが大変面白かった。まるで自分が本当に江戸の都にいるような感覚であって、こういうものはやはり江戸時代の名残がそのまま残っている明治の人にしか描けないのだろう。妾やら瓦版の読売やら外道の逆恨みやら、言葉は知っていてもそれを物語の中で違和感なく使うとなると我々平成の人間ならば相当な労力を使うが作者ならばあらよっとでできるのであり、こういう大衆文学とやらも大切にしなければなりませんな。
 捕物帳と言えばやはり「希代の大悪党」と「男と女の色事」である。俺は勧善懲悪的発想を嫌うが舞台が江戸の娯楽ものとあればやはり太え野郎だこの悪人め縄をかけてやれとなって拍手喝采いよっ岡っ引きさすがだねえであればこそ江戸の華というやつである。結局日本人というのは昔も今も勧善懲悪的な正義と悪の二元論的対立が大好きなのであって(抵抗勢力とか改革派対守旧派とか)、糞田舎の純日本的風土で生まれ育った俺もやはりそうなのである。まあたまにはこういうのもいいではないか。そしてそれぞれの事件でやたらと出てくるのが「男と女の色事」というやつで、やれ主人の後妻と奉公人ができちまったとか武士と女郎屋の女が道ならぬ恋に心中したとかいうのが必ず事件の背後にあって何らかの影響を与えるのである。それに比べれば現代のミステリーというやつはやれ組織の命令だの金に目がくらんだの地位と名誉がほしいだの精神異常だのと何と色気のないことか。やはり男と女のいざこざこそ人情の機微とやらにも通じ情緒もあって人の心を打つものではあるまいか。まあしかし弱肉強食の現代を生きる我々にとって好いた惚れたに没頭する余裕などないわけで、本書を読んで一時の江戸風情とやらに身を委ねることにしましょう親分。むむ。それが懸命だな。