朝鮮戦争(1)/児島襄[文藝春秋:文春文庫]

 というわけで去年7月に買った本書をやっと読了したわけである。毎度のことだがいかんねえ。買いっぱなしで読まないというのはどこかの活字馬鹿みたいである。大体俺は読むのが遅いのにあんなに見境なく神保町とかに行くからいかんのであって、今年こそはちゃんと実態に即した購入計画を練るつもりであります。おそらく無理であります。え。
 政治と戦争は不可分である。まして政治史ともなればなおさらである。よって政治を深く知るためには戦争及び戦史を知らなければならないのであって、特に近現代の政治及び戦史を知るには児島襄の著作は最適の教科書であることは言うをまたない。そして本書は朝鮮戦争の詳細なドキュメントであるが、本書に限らず作者の著作が優れているのは国内外政治事情や外交交渉と軍事的状況・当時の人々の世論などが懇切丁寧に解説されている点にある。とかくミリタリーマニアというのは戦争現場と本国のお偉い政治家を切り離すし一方の多くの外交評論家も戦争現場の惨状からは目をそらし華やかな外交交渉ばかりに注目したがるが、政治・外交・軍事から世論・経済に至る諸問題は全て一本の線なのである。こういうことをちゃんと教えないから日本では軍事に対する意識が希薄なのだ。とはいうものの俺も何とか戦車とか何とか銃とか言われてもよくわからんので、今度ミリタリーマニア道場の門を叩こう。
 本書は1950年夏の朝鮮戦争勃発、北朝鮮軍の猛攻撃による韓国政府の釜山避難から国連軍の仁川上陸作戦及びソウル奪還までが書かれている。時々で北朝鮮軍がどこにいてどこへ向かおうとしていて、対する国連軍がどこにいてというふうな状況が地図で明示されさすがの俺でもよくわかる。ただしやはり俺としては軍事的攻防よりも政治的暗闘の方が興奮するのであって、勃発時の北朝鮮軍総攻撃前後の韓国内の緊迫と油断の二重奏的状況や仁川上陸作戦という「世紀の大バクチ」をめぐる米軍内の暗闘(陸軍と海軍の確執)とそれを跳ね除けるマッカーサーという強大な権力を持った総司令官の存在は面白くないはずがない。
 また作者の著作には随所に当時の人々や軍人の皮肉の効いたユーモアや軽口が散りばめられており退屈しない。ソウルを奪還した海兵隊たちがやたらと星条旗を掲げると、すかさず陸軍は「今日は独立記念日で、ここはワシントンだったかな」と言い、海軍は「勝ったら国旗をあげるのが海兵隊の仕事だ。だが勝つつもりがない者は、国旗を持たないだろうな」と反論したという。歴史のエピソードというのはこういうものを言うのですな。
 本書は日本ラブコメ大賞2007選考作業が終了しまだ小手術の痛みが癒えきっていない12月24日から東京脱出兵庫県糞田舎帰還のための12月30日午前七時の東京駅にて読まれたものである。午前七時というのにあの人の多さには参った。幸いな事に俺は指定席を予約できたが、俺の横の席に座っていた30代後半と思われる女性がいやそのどこかの風俗で見たことが。お前はそればっかりではないかいやいや本当にどこかで見たような何を言うお前は道行く女全てが商売女に見えるのだろうがなるほどその通り。