ちくま文学の森(5)おかしい話[筑摩書房]

 というわけで俺は生きております。は。お前みたいな奴は今すぐ死ねと。わははははははは。心配せんでもそう遠くないうちに死ぬわい。このボケめ。せいぜい阿呆同士で仲良くしておれ。俺には孤独という武器があるが貴様は何だ丸腰ではないか。お前が先に死ね。
 さて本書は7月28日に五反田遊古会にて買ったものである。そして読み終わったのは12月29日である。それは2007年の話であって今は2008年になるのですが買ってから読むまでに五ヶ月も間を空けるなんてのは何ともまあ非生産的な話であって、そりゃ学生の頃はそんな阿呆も許せたが今となってはどうも恥ずかしい限りであります。その辺り皆さんのような普通の読書人というのはどうしてるんですかねえ。こういう時知り合いがいないというのは困るわけですな。
 いわゆる「文学」というものを馬鹿にしてはばからない俺がまた「文学の森」などに手を出すのはやっぱり文学様にひれ伏したいからだろうそうだろうという誰かの声が聞こえるがそういう声はこの先ずっと無視するとして読んだわけである。いやはやこのように活字で真面目に「おかしい話」を集中的に読むというのもなかなかない経験で大変良かった。それに本書は「爽快で小気味いいユーモア」よりは「奇怪・奇天烈・ブラックなユーモア」にまとめられているのもまた良い。本書からは黒い笑いが大いにこだましており最近の「文学」に足りないのはこういうものだと思うんだが。
 本書はどれも面白い短編から構成されており、その詳細についてここで俺が書くのも野暮というものだが本書中で特に面白かったものだけ挙げるとしよう。坂口安吾「勉強記」は、一青年の青年期特有の懊悩(誰もが悩むアレのことである)を昭和戦前期特有の大仰な文章でもったいぶりながらいやらしくねちっこくその「揺れ動き翻弄される懊悩ぶり」が書かれており、本人は真面目なつもりなのだろうが見ているこっちは非常に滑稽であった。「滑稽」というのは真面目さから来ることが多いというのはなるほどその通りだ。
 谷崎潤一郎「美食倶楽部」は、ああこれが高等遊民の文学ですかと思いながら読み進めるが最後の「本当の美食」とやらを味わう描写のその形容し難い妖しさには度肝を抜かれた。ほほうこれは確かに戦前の日本でこそ醸し出される妖しい官能であり、だからこそ「耽美派」などという口にするのも恥ずかしい言葉が市民権を得たわけですなあ。
 最後に収録された聞いたこともない古い外国の作家の「本当の話」は、まあこういうやつは改めてあらすじを整理して説明すると陳腐になるが「ガリバー旅行記」など比べ物にならない異世界冒険譚である。その壮大さというよりも奇天烈さは衝撃であって、いやあこういう文学がちまたに溢れるなら今も文学は花盛りなはずなんですがねえ。