忘れられない国会論戦/若宮啓文[中央公論社:中公新書]

 やくざに囲まれる夢と中学生時代の嫌な嫌な思い出を再現した夢を見た。初夢は悪夢二連発。はてこれをどう解するべきか。
 それはさておいて本書である。2007年9月15日の黄金コース@神保町金子書店で買った本書は実は故郷兵庫県糞田舎の図書館で一部読んだことがあり、長い間探し求めていたものである。「忘れられない」、面白くて聞き応えのある国会論戦を作者の独断と偏見で選んだ本書は権力闘争にばかり目を向ける俺には非常に新鮮でありまたそれを新鮮と感じる自分が恥ずかしくなった。俺は国会とは論戦する場であることをいつの間にか忘れていたのであり大学生時代むさぼるようにして国会会議録を読んでいたことを思い出した。多くの政治家が官僚の作文を棒読みするのは昔も今も同じだがしかし政治家も阿呆ではなく必ずやキラリと光る論戦が見つかるのであって、評論家陣が「議論が面白くない」「官僚的で退屈だ」というのは面白いところ退屈でないところを探すのが面倒くさいだけなのである。
 論戦というのは言葉を使って相手を倒すという斬った張ったであるから面白くないはずがない。特に権力者をやっつけるというのはこれは非常に興奮するのであって、本書にある吉田茂河野一郎中曽根康弘石橋政嗣という戦後政治史を飾る大スターの華々しい論争は映画のようである。特に本書中で興奮するのは「爆弾質問」の項であって、質問者(野党)が極秘に官僚等政府内部の者から情報を入手しそれを首相や大臣に叩きつけ、「どうだこちらには政府の内部文書があるのだぞここにはっきりこう書いておるではないかあんたどうするのか」というのはやはり溜飲が下がるものである。結局野党は野党なのであり政府与党が情報を出さなければ本当のデータが出てこないのであるから前提となる議論のベースができずグズグズと時間が過ぎるわけであるが、ここで野党側から独自に政府内部の情報を入手しそれを国会論戦の場で開花させるとするとこのように面白くなるのであって、今の政治家というのはことあるごとに官僚を敵対視するがそれでは官僚から情報をもらえないよと思うのである。
 他にも戦後政治の4番バッターである田中角栄の29歳の血の叫びが載せられていて、幻となった「自由討議」に関する演説はなるほど大衆を鷲づかみにする魅力をこの頃から備えているなと感心してしまった。民主化により沸き立つ大衆の怨念と矛盾なく消化された金力信仰を秘めてこそのあの饒舌にして華麗な演説が行われたという本書の分析は全くその通りであろう。今年も政治の魅力にとり憑かれることになりそうですな。