新潟風雨編2 東電OL殺人事件/佐野眞一[新潮社:新潮文庫]

 というわけで11月23日の21時頃新潟に着いた俺は予約してあったビジネスホテルで長旅で疲れた身体をその狭い狭い部屋で休ませることにした。新幹線を使えば東京から新潟まで2時間で着くものを在来線で越後湯沢まで行き7時間以上かかったからである。明日の計画を考えうつらうつらしている内に日付は変わり、ユニットバスにて肥満した身体を洗いそして本書を読み出したのである。7月14日の雨の日にBOOKOFF東中野店で105円で買ったものであるが、俺は10ページと読まぬうちにこれはどえらいものを読んでしまったと思った。なるほど「事件ノンフィクションの金字塔」なだけはある。同じ金字塔でも「『めぞん一刻』はラブコメの金字塔」などとはわけが違う。
 1997年に起こった東電OL殺人事件については、確か俺も昔聞いた記憶がある。どうせTVか週刊誌で目にしただけだろうが、「殺されたエリートOLは実は売春婦でした」ということでああそうかそういうこともあるのかと当時中学三年の世間を知らない俺は思っただけであった。それから10年が経ち、決して流されて生きてきたわけではないが俺は東京に流れ着いていて、本事件の舞台である渋谷や五反田のすぐ近くに今こうしているわけである。いやはや人生何が起こるかわからない。
 「17時に退社した39歳のOL(管理職の立場にある)は、渋谷区円山町の路地にある道玄坂地蔵のお堂の前に立ち、男たちに売春を呼びかけていた」「彼女は毎晩立ちんぼをして男に声をかけ、一日4人をノルマに相手をした後神泉駅12時34分発の井の頭線下り最終電車に乗って家に帰り、また次の日同じような生活を送っていた」「あらゆる男と売春をし、最後の方は料金も3千円といった驚くほど低額で、ホテルのみならず路地裏や駐車場でも平気でプレイした」等々、読み進めば読む進むほど彼女の理解不能な驚愕の生き様に心を奪われてしまう。しかし作者も言っているように、この生き様はもはや「いわゆる娼婦」の姿などではなく、別の何か、文中の言葉を借りれば「堕落する道すじのあまりの一途さに、聖性さえ帯びた怪物的純粋さ」すら感じてしまうほどの神々しい姿である。一人の人間がここまで「大堕落」する姿はいやでも人間存在の深淵を考えさせずにはいられないではないか。
 そのような東電OLの実態と並行して書かれるのが、無罪であることが状況的に見て明白であるのに逮捕されたネパール人と事件の裁判である。警察・検察の怠慢と驕りが法廷の場で赤裸々に暴かれるのであるが、やはり読みどころとしては作者の事件現場や関係者への取材更には無実のネパール人容疑者の関係者に話を聞くため実際にネパールに行くところであって、大変不謹慎だが読んでいてやたらと興奮してしまった。下手なミステリーよりよっぽど面白いし、その行動力と論理的思考能力はまさにお見事である。本書では全ての公判内容が詳細に記録されており、「砂上の楼閣」としか言いようがない検察の論告求刑には俺としては珍しく憤りさえ感じたものである(ただし、その後作者の予想通り一審で無罪となったネパール人は二審・最高裁無期懲役として逆転有罪になる)。
 結局と言うべきか当然と言うべきか、「昼はエリートOL、夜は売春婦」である被害者の心の闇の原因はわからない。最後に専門家と共にそれらしい結論が一応書かれてはいるが、作者自身もそれで疑問が解決したとは思っていない。だが悲劇の「黒いヒロイン」の、神々しさまで感じられる大堕落ぶりはまぎれもない真実であり、俺はそこに人間の持つ原罪的な禍々しさを感じずにはいられなかった。本書はまさしく感動的とも言える作品である。105円だが1000円いや2000円の価値があろう。