ロシア市民/中村逸郎[岩波書店:岩波新書]

ロシア市民―体制転換を生きる (岩波新書)

ロシア市民―体制転換を生きる (岩波新書)

 さて8月4日のあの日に神保町のブックス@ワンダーで買った本書はロシア市民について書かれたものでアーっとあれは夏だったか今や木枯らしが吹きすさぶ冬の良き夜ではないか。そうかそうか冬というのはまさに俺の季節であるからな。大体俺の一年のサイクルというのは春と共に絶望に落ちて夏に何とか現状を維持し秋に再起の望みを絶たれ冬に一筋の光明を見出すというものであって、だから冬というものをいつもワクワクしながら待ち望むわけであるがそんな生活を8年も続ければそれはもうこんな歪んだ糞人間ができるわけですなあ。
 俺は外国が好きではない。いや別に日本が好きというわけではないが、あんな肌の色も言葉も文化も違う奴を相手になどしたくない。グローバルだか何だか知らんが所詮俺は自分と自分の家族以外には関心がない偏狭な田舎者であるからして最近田舎によく出没するフィリピン人やベトナム人を苦々しく思っているわけである。諸君らにはあまり実感がないだろうが例えば我が兵庫県の糞田舎を例にとっても外人率というのは驚くほど増加しているのであって、なかでも目立つのが外人嫁というやつで田舎の地主の馬鹿息子(大抵30〜40代)を狙ってイラン人やフィリピン人がやってきたりしているのである。世の中の女の95%は阿呆であることはもちろんよくわかっているがしかしそれでは日本の未来はどうなるのか俺はとても心配なのである。かく言う俺も十年後はフィリピンパブに通いそうな気がして心配で仕方がない。それでいいのですか女性の皆さん。
 というわけで大変前置きが長くなったがロシアの話である。確かに俺は外国が嫌いだがそれはそれとしてどこか一つの国を長期に渡りウォッチするのもいいのではないかということで不定期的にロシア関係の本を読んだりするのである。「20世紀の壮大な実験そして失敗」と言われる社会主義が終わり今やロシアは資本主義民主主義の国であることは小学生でも知っているが、本書はその体制大転換によって自身の生活を翻弄され彷徨うロシア市民の姿が生々しく書かれ大変興味深かった。社会主義から資本主義への転換などというのは日本でいうところの大東亜戦争の前と後ぐらいの大転換なのであって、当然それまで国家(多くの場合国営企業とその共同体組織)に守られていた彼ら市民たちのほとんどが順応できず筆舌に尽くしがたい苦労をするわけである。特に本書で目を引くのが庶民たちの経済事情がどれほど厳しいかを具体的に収入と支出でもって説明している点であって、「年金生活者である老婦人の収入は410ルーブルであり、支出はどんなに切り詰めても452ルーブルである」などと淡々と書かれてはいるがこれこそが真実でありジャーナリズムだと思わず唸ってしまった。
 俺は民主主義者であるが選挙原理主義的なところがあるので(政治は選挙が全てである)、筆者の言う「社会的な立場から発言する市民の合意としての民主主義」というのは正直なところよくわからない。いやまあわからんことはないが、選挙以外の効用というのはあまり真剣に考えたことがない。大体そのような「社会的な立場から発言する市民の合意としての民主主義」というものを民主主義がはじまって10年も経たない(本書は1999年発行)国の市民が確立できるわけがないのだし、確かに民主主義のあるべき姿としてはその通りなのだろうが我が日本国民も怪しいものだ。民主主義というのははなはだ厄介なものなのである。しかし民主主義がはじまって10年も経たない市民がどういう風に生活と向き合いやがて政治に無気力となっていくかも辿ることができる本書は大変貴重である。こういう本があるからやはり読書はやめられませんなあ。