頭のない鯨/田原総一朗[朝日新聞社:朝日文庫]

 イエイイエイイエイ。そんなわけであの糞田舎での帰省・薔薇色の日々を思い出しながら年末の帰郷まで何とか持ち応えようとして今日も俺はおります。世界は二階にあります、俺はそれをただじっと見ております(意味がわからん)。
 9月20日の東京脱出道中の新幹線の中で21時3分に「まぶらほ〜もっとメイドの巻〜」を読み終えた俺はトイレに行って帰って次に本書を読み出した。本書は8月26日に古本市場AKIBAPLACE店で105円で買ったものである。「まぶらほ」といい本書といい古本市場AKIBAPLACE店が続くが、それは仕方ない古本市場というのは俺の青春の生き証人なのであり故郷の香りなのでありそれがあの秋葉原にあるとあっては行かない方がおかしいのだ。そのようにして本書は読まれ新幹線が新大阪に着きその後在来線に乗り換えて三宮駅を過ぎ明石駅を過ぎても読み終わらなかった。言っておくが俺は本書を大学時代から数えれば20回以上読んでいて、今まで買わなかったのは大学の図書館で借りて以来20回は読み返して内容をほとんど覚えていたからである。20回以上読んでいて内容もほとんど覚えていてなお、俺は一行一行をゆっくりと読んだのである。
 大学で政治学を専攻していた。ゼミの授業もあったが所詮夜間なのでカリキュラムも中途半端なもので卒論もなかったが、いつからか俺は「中選挙区制55年体制、そして自民党」を追うようになり、それなりの知識は身につけたつもりである(http://d.hatena.ne.jp/tarimo/20050301)。やがて中選挙区制は終わりを告げ小選挙区制となり連立政権の時代へと移行し55年体制も過去のものとなるわけだが、それは1993年の細川政権からはじまったのである。では、なぜ細川政権なるものが誕生し、なぜ自民党は下野したのか。なぜ中選挙区制は悪の権化とされたのか。これに明確に答えた政治学者は一人もおらず、もちろん俺もよくわかっていない。いわゆるジャーナリズムでは当時も今もそれらは「小沢一郎経世会抗争によるもの」とされているが、政局好き派閥マニアの俺でもそれは短絡的過ぎる考えだと思うのである。日本の政治は1993年以前と以後では根本的に変わってしまったのでありそれが小沢一人で行われるわけがない。一人の意思と力で何かができるほど日本の政治は単純ではないとこれは断言できる。
 本書はその細川政権誕生の舞台裏、さらにその後の羽田政権・村山政権という未曾有の大混乱の政治状況を関係者たちのインタビュー等により暴いていくという(もちろん明確に暴くことはできないのだが)、戦後政治・55年体制以後90年代以降の政治の第一級資料であり俺は大学時代むさぼるように本書を読んだものである。今回改めて買って(何せ105円だしな)読み、改めて政治の怖さと面白さに気付き自分の選択は間違ってなかったと深く感じたのは明記しよう。
 で、結局細川政権はなぜ誕生したか。なぜ羽田・小沢派が不信任案に賛成することがわかっておきながら自民党執行部は動かなかったのか。なぜ自民党社会党が連立を組んだのか。わかりまへんなあ。細川が首相を打診されてなぜホイホイ小沢についてしまったのか、なぜ宮澤はじめ自民党執行部は冒頭解散ではなく不信任案採決まで突っ込んだのか、社会党はなぜ小沢は駄目で自民党なら良かったのか。一見もっともらしい原因が見当たるが、しかし納得がいかない。政治は理屈ではなく義理と人情と権力闘争なのは百も承知しているが、やはり俺は魑魅魍魎の跋扈する政治に立ち向かいこの疑問を解こう。