YKK秘録/山崎拓[講談社]

YKK秘録

YKK秘録

 しかしながら政治家の自伝は難しい。俺も普通の読書家以上に政治家の自伝を読んでいる方だが、何せ政治家とは自分を正当化する、自分を有利・優位に導く事を長年に渡って続けてきた、というよりそういう生き方を余儀なくされた人種であるから、どうしても事実(真実)が歪められる可能性がある。特に気を付けなければならないのは「もう引退したから」と言って「ありのままに話そう」という言い方で、引退したからと言ってその政治家が俗世間から完全に離れたわけではなく、後継者や面倒を見なければならない(養わなければならない)連中を多数抱えているのが人の世の常というものである。むしろ引退して、つまり選挙の心配がなくなってしまえばこれまで以上に無責任に自分を正当化、有利・優位に導く事もあろう。
 「そうは言っても、例えば死期が迫ってきたので『後世に真実を遺したい』と告白する政治家もいるではないか。ああいうのは本当に、嘘偽りない真実だろう」という意見もあろうが、それはそうかもしれないが、そうでないかもしれない。なぜなら政治家は最終的に歴史に名を残すのであり、歴史に審判される。歴史の審判に耐えられるなら嘘偽りない真実を話すだろうし、耐えられないならそこに邪が入ってしまう。神ならぬ人の世の常である。
 という事で本書であるが、「YKK」とは90年代〜2000年代中頃まで日本の政界で知らぬ者はいない政治同盟であり、山崎拓(Y)・加藤紘一(K)・小泉純一郎(K)という卓越した政治家3人は派閥の領袖として一定の勢力を率いる(将来率いると周囲から見なされた)実力者であった。その3人が同盟を結ぶ事で与党である自民党に確固とした地位を築き、つまり日本政治自体に影響力を持っていた。90年代中頃から3人はそれぞれ大臣、自民党政調会長自民党幹事長等を歴任して権力の中枢を担うようになり、2001年には遂にこのYKKから小泉純一郎が首相の地位に就き、山崎拓自民党幹事長として(つまり政権ナンバー2として)小泉政権を支え、名実共に一時代を築く事になるわけだが、本書を記した山崎拓(Y)はできるだけ言い訳めいた事を排除してこの時代の政治状況(1989年の宇野内閣発足から2003年の総選挙まで)を簡潔に書いているというのが読後の感想である。人物評や対面した人達の表情、雰囲気、口調等について描かれている箇所もあるが、全体としてはやや報告書的に「○○首相と公邸で会談。○○○につき要請あり」「○○会議。○○○について議論。冒頭やや紛糾したものの○○に一任して了承」「○○候補の立会演説会にて演説」と記述されているところも多く、言い訳めいた事は感じられない反面、物足りなさも感じるが、さすがに「加藤の乱」(俺が政治に興味を持ったきっかけでもある)についての記述は当事者中の当事者であるから迫力が凄かった。またこの「加藤の乱」で負け戦とわかっていながら「盟友・加藤と長い友情を結んできたから」と負け戦に乗る覚悟を決め、その山崎の姿を見て「親分と一緒に討ち死にしよう」と言う同志の存在、そして「加藤の乱」後の小泉の有名な「YKKは友情と打算の二重奏だ。今日、私は友情で来たと皆さん思っているでしょうが、実は打算で来たんです」につながるところは鳥肌が立つほどの面白さであった。政局には政治の全てがあり、政治はどんな人間ドラマよりも面白い人間ドラマである。
 
 本会議場へと向かおうとする加藤を前に、私も腹をくくった。
「あんたと俺だけや。後は可哀相だから欠席でいい。俺とあんただけは出席しよう。そして党を割ろう。しょうがない。ここまで来たんだから」
 そう意気軒昂に話す加藤と私を載せたハイヤーが国会議事堂に到着する。
 議事堂の正面に着くと、あろうことか、加藤の口から信じられない言葉が発せられる。
「やっぱり戻ろう…」
 たしかに、政治家生命をかけた決断を前に逡巡する加藤の気持ちもわからないではない。弱気になる加藤に、私は、
「俺はどっちでもいいよ。あんたが突っ込むなら、俺も突っ込む」
 行くか引き返すかはあくまで加藤が決めること。そう考えていた私は、加藤と共にホテルオークラに戻ることにした。
(中略)
「拓さん、早く行け。何やってんだ。これであんたら欠席すると、2人とも政治生命を失うぞ」
 矢野は電話でこう発破をかけてくる。その言葉に私はその気になり、「行こう!」と加藤に声をかけ、再び国会議事堂に向かった。ところがここでまた加藤の心が折れ、2人とも欠席することになってしまった。
 結局、2度ホテルに戻ることになってしまった私は、全身の力が一気に抜けてしまい、ホテルが用意したソファで横になってしまった。
 すると三度、加藤が「拓さん、行こう」と言うではないか。私は、土壇場で二度くじけた加藤の弱気が伝播していた。
 「いや、俺はもう行かん。あんた一人で行ってくれ。三度目の正直というわけにもいかん」
 加藤は一人でホテルを出たが、案の定というべきか、すぐに戻って来た。
 
 12月11日(「加藤の乱」は11月20日)、気分がなかなか晴れぬまま、毎年恒例の私の誕生パーティが行われた。会の途中、呼んでいなかったはずの小泉が姿を現した。小泉はマイクを手に、「加藤の乱」での騒動を振り返った後、こんな言葉を残した。
「YKKは友情と打算の二重奏だ」
「皆さんは、私が友情でこの場に来たとお思いでしょうが、さに非ず打算で来たんですよ」
 参会者は呆気にとられたが、私だけは彼の言葉の意味を理解した。つまり「次は俺を頼むよ」ということだ。
 友であり、ライバルであり、時に政敵となりうる。「加藤の乱」を経たYKKを的確に表した言葉だと、妙に納得してしまった。