宰相の器/早坂茂三[集英社:集英社文庫]

 さて本ブログではすっかりお馴染みとなった作者は日本が生んだ鬼才・田中角栄の秘書を23年務め、政治の天国と地獄を骨の髄まで知り尽くしたこれまた鬼才である。本書では鬼才である作者によって五十五年体制が軋み始めた1989年から1992年の政治状況(経世会支配による海部政権と宮沢政権の実態〜金丸事件による経世会分裂)が鮮やかに描かれ、やがて来る激動の時代を正確に予見し(自公連立、経世会を飛び出した小沢による政界再編)、且つ現在の日本政治の病理の一つであるマスコミの「反権力・幼児性・嫉妬」性を簡潔に表現して一字一句無駄なところがない。本書を前にして俺のような洟垂れ小僧の戯言などほとんど無意味であるからして、修羅場を生き延びた作者の力強い言葉にしばし浸ることにしよう。
 
 これまで男性優位の日本社会では、女の数は男の甲斐性、ヘソから下に人格なし、武士は相身互い、男と女の問題は互いに目をつぶり、陽の目にさらさなかった。男の身勝手で言えば、惻隠の情である。彼とて生身、われもまた、という暗黙の合意があった。
 特に、政界に関してはイエローペーパー、ブラックジャーナリズムならともかく、メジャーなマスコミは女性問題を不問にしてきた。採り上げだしたらキリがないという実態もある。自分たちも神のように清潔ではない。
 とにかく、見て見ぬ振りをしてきた。それに国運を左右する性質の問題ではない。
 
 ところが、気弱な偽善者たちがマスコミを先頭にして、政治の世界に倫理、モラルを持ち込んできた。合格点をもらえるのは、エネルギーに乏しく、右顧左眄して、前進、後退の命令を瞬時に発することもできず、流れのままに日を送る優等生だけではないか。
 しかし、国家、人民に災厄をもたらす可能性が強いのは、史実が示すところ、こうした真面目で無能な指導者である。
 建前と偽善で恥部を隠すイチジクの葉をはぎとれば、この世は弱肉強食、優勝劣敗、適者生存、ジャングルの法則が支配する修羅の巷だ。洋の東西を問わず、昔も今も変わらない。
 汚濁にまっすぐ目を向けて、社会正義の実現に身を焼き、夜も眠れない高潔の士は、十万人に一人である。1949年10月1日、同志の朱徳周恩来、�殀小平らと新中国を建設した毛沢東が、その代表だ。彼の女好きは有名だが、それは毛の偉大な軌跡を消していない。
 求めるべきは、行儀が悪くても有能な指導者だ。角を矯めて牛を殺すのは衆愚の常である。風が吹けば浅瀬は波立つ。安直な正義の小旗を振りかざしたマスコミ、自称インテリが、女たちを煽動し、盲目にさせて、政治家の手足を安手な倫理で縛り上げ、川に投げ込み、向こう岸に泳ぎつけと強要しても、それは無理な話である。
 気弱に笑って注文に応ずるのは、ちんまりとした軽薄才子だけだ。沈香も焚かず、屁もひらない。一穴。女も寄ってこない政治家が増えてきた。時代の反映である。
 
 政権に求められるのは、いつでも強さである。待ったなしで押し寄せる内政、外交の難問を巧みにさばく。アメとムチで野党の追及をかわし、あるいは取り込む。煮ても、焼いても、フライにしても食えない外国相手の交渉で国益をしなやかに守り抜く。これをやることだ。それに加えて、口喧しいマスコミの建前論とうまく折合いをつけることも大切だ。
 最高指導者が背負い込む荷物は、いつでも、どこでも背骨がへし折れるほどに重い。そして、トップは常に孤独だ。大小の陰謀、術策、甘言、嫉妬の渦中にある。スポンサーや相談相手の注文、アドバイスを受けて、針の穴に象を通すような選択と決断を日夜、迫られる。
 
 佐藤栄作が首相で角栄自民党幹事長だった昭和40年代のことだ。当時、官房副長官だった竹下が対決法案を衆議院で採決した際、打ち合わせに行った私に耳打ちした。
「議長不信任案は○時×分否決、本案の採決に入って、野党の牛歩は○○時××分で終わり」
 結果は、竹下の詳細な解説と誤差の範囲でしか違わなかった。この話を角栄親方にしたところ、「当たり前じゃないか。ちゃんと打ち合わせてやってるんだ」と叱られた。国対政治と言われる政治技術の見本のようなエピソードである。
 
 エネルギーに溢れ、歴史に名を刻むほどの男たちは、普通、一穴では収まらない。他にも情熱の捌け口を求めがちだ。その匂いを慕って女も寄って来た。敵意、謀略、落し穴、反逆、非難中傷の渦中にあって、英雄たちは寸暇を作り、女の許に通い、酒を飲み、胸の谷間に顔を埋めて、たまゆらのやすらぎを得た。
 淫楽の幕が下りれば、再び戦いの太鼓が鳴り響く。男たちは精気を漲らせて、権力闘争の場に戻った。
 
 大衆は自分と同じ高さの目線の人を好きだ。目の玉の奥に春風が吹いている人を慕い、集まってくる。大衆が嫌いなのは、自分よりも目線が高く、目の玉の奥が冷蔵庫のように冷たくて、鼻が空を向いている奴だ。東大出の孤独な秀才が天を仰いで嘆いた。
「あの馬鹿たちは、どうして私の前に集まらないのか。私には分からない」
 その時どうなるか。カラスが飛んできて、開けた口に糞をたれ、「あほう、あほう」と鳴いて飛び去るだけである。この風景は、いつでも、どこでも永遠に変わることがない。